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みちのく白球譜

(第66回全国選手権大会・準決勝 金足農2―3PL学園)

 試合中、秋田市を走る車がなくなった――。そんな逸話が残るほど、県民は試合に釘付けだった。1915(大正4)年の第1回大会以来となる秋田勢の決勝進出がかかっていた。

 夏の甲子園初出場の金足農は強豪校を次々と破り、「金農旋風」を巻き起こしていた。

 準決勝の相手は、前年優勝のPL学園。後にプロ野球へ進む桑田真澄、清原和博(ともに2年)の「KKコンビ」を擁していた。「自分たちは運が良い」。全国に名が知られたPLとの対戦を待ち望んでいた金足農のエース水沢博文(3年)に、緊張はなかった。

 味方打線が一回に先制すると、水沢はテンポ良く変化球を内外角へ投げ分け、PL打線を抑え込んだ。4番清原には「打たれても当たり前」と割り切った。五回までの被安打は1。大舞台を楽しんでいた。

 抑えてはいた。ただ、桑田が怖かった。「構えが柔らかく、大振りに見えてもしっかりとミートをする。選球眼も良い」

 同点になった直後の七回。桑田のカーブや直球を攻略し、金足農は再び適時打で勝ち越した。チームに勢いを感じた。「このままいけるかな」。水沢の脳裏に、勝利がよぎる。球場は「PL危うし」とどよめき、ざわつき始めた。

 八回。1死後に、清原に四球を出した。次打者の桑田が打席に入る。球場は「くわた、くわた」のコールに包まれた。

 水沢は平常心だった。1球目は外角の直球。ぎりぎりのストライクを桑田は見逃した。2球目のサインは「外角スローカーブ」。前の打席で引っかけさせた変化球で、様子を見る作戦だった。

 だが、すっぽ抜けた。真ん中に甘く入った球を、桑田は見逃さない。高く上がった打球はポールを巻き、左翼席中段へ。大歓声が巻き起こる。手を回す三塁の審判を見て、本塁打だとわかった。「あぁ、やられた」。笑うしか無かった。

 水沢は「一球の恐ろしさを痛感した」と振り返る。社会人野球を経て、今は秋田市のゴルフ場で働く。「地元の選手が集まっての4強だった。今や東北勢は私立の強豪も多い」。まだ見ぬ深紅の大優勝旗の「白河の関越え」に期待を寄せている。

=敬称略、学年はいずれも当時(神野勇人)

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