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伊藤寛雄さん(71)

 西仙北高で非常勤講師をしています。これまで大曲工、雄物川などの高校で理科を教える傍ら、野球部の部長を12年ほど務めました。思い出は「野球部通信」です。

 1996年4月、大曲工の部長になるとすぐ、選手や保護者が見る日誌をワープロで打って発行し始めました。A4判の紙1枚ですが、休日を除いて毎日です。作る時間は30~40分。試合の結果、監督や私の考えていること、新聞の切り抜きのほか、部員の体力データを一覧にして載せたこともあります。

 原則、その日のうちに、遅くとも翌日には選手らに渡しました。遠征先では近くのコンビニエンスストアに車を走らせ、原稿をコピーしました。スコアはマネジャーに書き込ませたんですが、彼らにも勉強になったようです。

 選手への意思伝達とともに、保護者に見てもらうことが大事でした。高校生は細かいことを親にしゃべりません。でも、紙なら渡すだけだし、毎日だと見せることが普通になります。それによって保護者との信頼関係を築けたと思います。

 もちろん、選手の意識改革も大事でした。当時、力のある選手はいても甲子園を本気で狙う意識は低く、「なんちゃってめざせ甲子園」でした。でも、徐々に本気で狙う選手が増え、チーム力も上がっていったと思います。私の在籍中は行けませんでしたが、その後、春と夏に1回ずつ出場を果たしました。

 大曲工時代に発行した日誌は計2955枚。1年分をB5判の冊子にまとめ、毎年選手に渡しました。同校で部長を務めた10年間で、作った冊子は11冊。その後、秋田経法大付(今の明桜)や雄物川でも日誌を発行しました。

 元々書くのが好きなんです。野球部の部長になる前から毎日、担任するクラスのホームルームで日誌を渡していました。

 今も、担当する理科の授業前、生徒に「理科通信」を渡しています。3年前に趣味で始めた自作の短歌も入れます。意外に評判がいいんですよ。(聞き手・山田佳毅)

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