岡田将平
沖縄県東村(ひがしそん)高江の牧草地に米軍の大型輸送ヘリコプターCH53Eが不時着し、炎上した事故から11日で1カ月が過ぎた。事故は何度となく起き、飛行中止を求めても聞き入れられることは、まずない。「なぜ沖縄だけこんな負担を強いられるのか」。牧草地の所有者西銘(にしめ)晃さん(64)は、やるせなさを募らせている。
牧草地の一角は、青いシートで覆われていた。米軍は事故後、残骸を土ごと持ち去ったといい、地面がでこぼこになっているのがわかる。周囲には米軍車両の深いわだちが残り、牧草は至る所で踏みつぶされていた。
事故が起きたのは10月11日の夕方。西銘さんはたまたま別の農地の作業が遅れ、現場の牧草地にはいなかった。「遅れていなかったら、巻き込まれていた可能性がある」。自宅からは約300メートルの場所だった。
「やんばる」と呼ばれる自然豊かな沖縄本島北部。西銘さん一家は曽祖父の代から高江の、太平洋を見晴らす高台に住む。
高江の広い土地を生かすには機械化した農業しかないと考え、大学を卒業後、渡米。2年間、アイダホ州などで牧草やジャガイモの栽培方法を学んだ。帰郷後、1983年に牧草栽培を始めた。
米軍とのかかわりは長い。4歳だった57年、米軍が東村と隣の国頭村(くにがみそん)にまたがる土地を北部海兵隊訓練場(本土復帰の72年から北部訓練場)として使い始めた。銃を持った米兵が集落を行き来するのは日常茶飯事だった。
区長を務めた83~84年ごろは、米兵と住民とのソフトボール大会なども開かれ、一緒に盛り上がった。「米兵一人一人とはうまくつきあっていけばいい」と思っていた。
だが、基地被害の問題は別だ。「だって怖いでしょ」
■基地、押しつけられた…
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朝日新聞社会部