赤坂料亭での接待「食い飽きた」 言い放った大蔵官僚

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小森敦司
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 平成に入っても、大蔵省は金融機関に強い権限を持ち、裁量行政を続けた。そこで大手銀行のエリートは「自行を有利に」と接待をかさねた。ゆがんだ関係に捜査のメスが入ったのは、金融危機まっただ中の1998年初め。事件を受け、「財金分離」が進んだ。(小森敦司)

 「MOF(モフ)担」

 大蔵省との折衝や情報収集にあたる大手銀行の中堅幹部たちはそう呼ばれた。大蔵省の英語名の「Ministry of Finance」の頭文字からきている。いつしかMOF担は、出世コースになっていた。

 当時はまだ、金融規制や競争ルールの多くが大蔵官僚らの裁量で決められていたのが実態で、銀行側は当局の人間にすり寄るしかなかった。そのため、MOF担にとって料亭やゴルフ場での接待が重要だった。

 98年に経営破綻(はたん)する日本長期信用銀行(長銀)の取締役新宿支店長などを務めた箭内(やない)昇さん(70)。92年から94年までのMOF担(役職は企画室長)時代の出来事を苦々しくも語ってくれた。

 場所は東京・赤坂の高級料亭と記憶している。夜、さんざん待たされたあげく連れ出した大蔵省の幹部は言った。「料亭の料理は食い飽きた」

 それで、料亭のおかみに命じ…

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