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 皆さん、ライシャワー事件をご存じでしょうか?

 ケネディ大統領に任命され、1961年から5年間、駐日米国大使を務めたエドウィン・O・ライシャワー氏が日本人少年に襲われた事件です。

 事件が起きたのは、64年3月。ライシャワー氏は大使館を出たところで、ナイフで刺され、重傷を負いました。戦後復興の象徴と位置づけた東京オリンピックの開催を7カ月後に控え、日本が再び世界の表舞台に出ようという矢先の出来事でした。

 1910年に東京で生まれ、明治の元老の一人である松方正義の孫ハルさんと結婚したライシャワー氏は、知日家として日本国民から慕われていました。事件が国民に与えた衝撃は大きかったでしょう。

 ライシャワー氏の出血は数千ミリリットルに達し、外科手術と輸血によって一命をとりとめました。日本国民の心情に配慮したのでしょうか、ライシャワー氏は「たくさんの輸血を受けて、日本と血のつながりができた」と言ったといわれています。しかし、輸血後に肝炎を併発し、その後、病とともに人生を歩むことになるのです。

 当時の日本の輸血は売血に頼っていました。品質管理はお粗末なもので、各種の肝炎ウイルスやエイズウイルスが含まれていないかを厳重にチェックする検査体制が整えられている現在と違って、感染症の検査はほとんど行われていませんでした。そのため当時の輸血後肝炎の発症率は、驚くべきことに50%を超えていたのです。

 ライシャワー事件をきっかけに、輸血用血液製剤の原料は売血から献血による確保が図られました。B型、C型肝炎ウイルスなど、輸血後感染症を引き起こす病原体の発見に伴い、輸血用血液製剤の品質管理も次第に精密となっていきます。いまでは、輸血後肝炎の発症率は極めて低いレベルに抑えられています。

 我々のように、患者さんの血液や体液に接触する機会の多い医療職にとっては、血液などを介した感染症には特に注意が必要です。しかし、医療職の感染予防体制が整備されてきたのは最近のことなのです。

 私が研修医だった80年代に、私を指導してくれた先輩外科医が肝炎になりました。その先輩は見舞いに行った私に、「肝炎にかかったこともない外科医は一人前ではない」と強がりを言ったものでした。感染予防に対する当時の医療関係者の認識が思い起こされます。

 ライシャワー氏は、日本国民に惜しまれながら駐日大使を辞した後、ハーバード大学に戻り、90年に亡くなりました。遺灰は遺言に従い、日米を結ぶ太平洋にまかれたと伝えられています。

<アピタル:弘前大学企画・今こそ知りたい! 感染症の予防と治療>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/hirosaki/

(弘前大学大学院医学研究科臨床検査医学講座教授 萱場広之)