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 大塩平八郎はそもそも、どんな人物だったのか。大塩は大坂東町奉行の与力の子として大坂・天満に生まれ、15歳のころ与力を継いだ。与力は警察と市役所を合わせたような仕事だという。祖父は徳島藩の家老の出で、大塩家の養子になったとみられている。

 学問にも力を入れ、自宅に「洗心洞(せんしんどう)」という私塾を開いた。幕府公認の朱子学ではなく陽明学に傾倒し、「良知を致す」や「知行合一」を重んじた。良知は人間が生来持っている道徳心。知行合一は知っていて行わないのは知らないのと同じという意味だ。

 180年前、大塩は知行合一を実践するように、幕府や豪商を批判して蜂起する。だが、江戸時代は「幕府に刃向かった国賊」とされた。

 大阪の「大塩事件研究会」の会長で歴史学者の藪田貫(ゆたか)さんによると、明治維新後の1886(明治19)年に大塩の50回忌法要が営まれ、そのころから「義人」としての評価が出てくるという。

 大阪市北区末広町にある日蓮宗…

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