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 核・ミサイル開発を繰り返す北朝鮮の情勢が緊迫し、米国のトランプ大統領が軍事力行使を示唆すれば、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)・朝鮮労働委員長も「史上最高の超強硬対応措置を断行する」と応酬し、解決の糸口は見えてきません。1994年の北朝鮮危機の際、クリントン政権で国防長官を務めたのが、ウィリアム・ペリーさん(90)。国防長官時代には、北朝鮮の核施設への先制攻撃を本格的に準備する一方、北朝鮮政策調整官として北朝鮮高官と直接対話に乗りだし、合意に導いた人物です。後には、核廃絶を訴えたオバマ前大統領のプラハ演説のきっかけとなった「核なき世界」の提唱者としても知られています。ペリーさんに、①94年危機の際、「軍事力行使」と「外交」のバランスをどのように考えていたか、②現在の北朝鮮危機は過去と危機とどう異なり、米国や日本のアプローチをどのように評価するか、③「核なき世界」という理想と、現実のギャップをどう埋めていくのか――について、1時間超にわたり、語ってもらいました。(編集委員・佐藤武嗣宮地ゆう

〈ウィリアム・ペリー氏〉1850年代に黒船を率いて日本に来航したペリー提督の末裔。数学者。国防次官などを経て、クリントン政権で国防副長官を務めた後、1994年に国防長官に就任。2007年には、シュルツ元国務長官らと「核なき世界」と題する意見論文を米紙に寄稿。オバマ前大統領の「核なき世界」を訴えたプラハ演説につながった。

「巡航ミサイルで寧辺破壊計画作成した」

 ――1994年の北朝鮮危機に、最前線で対応していましたね。

 「94年2月に国防長官に就任し、最初に直面した危機が北朝鮮でした。北朝鮮は、発電のために寧辺に原子炉を保有。原子炉は何カ月も稼働すると、使用済み核燃料を、爆弾を作るのに利用できるプルトニウムに転用できます。それまで北朝鮮は、核不拡散条約(NPT)の加盟国で、原子爆弾を製造しないと約束していました」

 「しかし、北朝鮮は(燃料棒から)プルトニウムを抽出する再処理を開始すると発表。それは6個の原子爆弾を作るのに十分なプルトニウムで我々はそれに強固に反対していました。北朝鮮は、その(核物質の軍事転用の)有無を調べようと北朝鮮入りしていた国連の(国際原子力機関IAEAの)査察官を引き揚げさせ、さらにNPTからの脱退も示唆するなど、非常に危険な状態でした」

 「米国は6個の原子爆弾を北朝鮮に作らせることを許さず、プルトニウムを抽出する燃料の再処理をやめさせる必要があった。一度プルトニウムを手にすれば、比較的容易に爆弾が作れます。国防長官として、大統領の許可を得て、『米国はプルトニウムの生成は許さず、それをやめさせるため、必要があれば、軍事行動をとる用意がある』という声明を出しました」

 「これは『口先だけの脅し(Empty threat)』ではありませんでした。以降、多くの長官や大統領が同じような声明を出してきましたが、それらは口先だけの脅しでしかない。しかしながら、我々はプルトニウム生成を止めるため、寧辺(の核施設)を巡航ミサイルによって破壊するための軍事計画を実際に作成していたのです」

 「第一優先は、軍の体制を整えることでした。軍事力は選択肢の非常に隅っこにあったが、それが強制外交の要素となる。軍を投入しないことを望んでいましたが、一方で軍事力行使の準備をしました。我々は、(軍事衝突で)事態は深刻になると覚悟していましたが、北朝鮮が外交を拒否し、核兵器製造に着手すれば、より一層深刻な結果になると見ていたのです」

 「ただ、私も大統領も、軍事力行使が我々のとりたい行動ではないと理解していました。それは攻撃実行が困難だからではなく、結果が望ましいものにならないからでもなく、(攻撃の)結末が、韓国に対する軍事行動という北朝鮮の反撃を招く可能性があるからでした。地図を見ればわかるように、非武装地帯(DMZ)はソウルに非常に近い。東京の近くに北朝鮮軍がいると考えれば、結果は想像がつくでしょう。軍事的手段は選択肢ではありましたが、テーブルの隅に押しやり、我々は外交的解決を模索しました。私も、もちろん大統領も、第一の選択肢は外交だと考えていました」

 ――北朝鮮が真剣に警告に耳を傾け、口先だけの脅しではないとどうやって分からせたのですか。

 「口先だけの脅しを二、三度繰り返せば、信憑(しんぴょう)性を失います。我々の脅しは信憑性があった。私の声明の直後、ブッシュ政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレント・スコウクロフト氏が、ワシントン・ポストに意見論文を書き、もし北朝鮮が再処理をやめなければ、原子炉の攻撃に巡航ミサイルを使用すべきだと提言しました。彼は私の親友で、北朝鮮は私が彼に論文を書かせ、真剣にそれを検討していると受け止めたのだと思います」

 「金日成(キムイルソン)氏は危機について協議するため、カーター元大統領を自国に招待し、カーター氏も喜んでそれを受け入れた。非常に切羽詰まった状況でした。カーター氏が招待された直後、我々は非常に厳しい制裁を北朝鮮に科そうと計画を立てていました。私は、大統領に『(北朝鮮による)韓国への軍事攻撃を引き起こす可能性があるような制裁は科すべきではない』と助言していました」

 「数日の間に、私は統合参謀本部議長や本国に召還した在韓米軍司令官と共に大統領と面会し、在韓米軍の増派を提案。北朝鮮が軍事行動を起こすことを想定し、我々が制裁を科す前に、準備をしなければならなかった。私は3万人の大規模な増派を提案しました。現在の在韓米軍は約3万人で、当時は4万人ほどでしたから、これは非常に重大な動きだった」

 「我々がまさに協議し、私が増派の提案をしていた時、平壌にいるカーター氏から連絡が飛び込んできた。金日成氏が、プルトニウムの再処理を中止する交渉の用意があるとのことでした。私は大統領に、金日成氏が寧辺の活動を停止させることに合意した場合にのみ、受け入れるよう助言しました。金日成氏はこれを受け入れ、危機が回避され、2、3カ月のうちに、いわゆる『枠組み合意』と呼ばれる交渉が始まりました」

「北朝鮮反撃なら計り知れない被害が出る」

 ――ペリーさんは、どれくらいの確率で軍事衝突に発展する可能性があると見ていましたか。

 「我々は戦争を始める計画を立てているわけではありませんでした。我々がとる行動や断固とした姿勢、特に韓国に米軍を増派し、制裁を科すことで、北朝鮮が戦争を始める可能性があると認識していた。もし北朝鮮がソウルを占拠すれば、計り知れない被害が出る。我々が北朝鮮との戦争に勝つことは分かっていたが、ソウルが破壊される前に勝たねばならなかった。それが韓国への増派であり、我々がとろうとしていた行動だった」

 ――94年5月、クリントン大統領は、最初の90日で米軍の被害が5万2千人で、韓国軍の49万人が被害を受けるとの説明を受けたと言われています。この数字は正しいですか。その際のクリントン大統領の反応はどうでしたか。

 「数字は覚えていないが、そのような数でした。大統領は、私が薦めた在韓米軍の増派を許可しようと準備していました。私は実際、(増派で)2万人、3万人、4万人など、いくつかの選択肢を示し、大統領はそれらを承認しようとしていた。文字どおり、クリントン大統領が決定を下そうという数分前、(カーター氏から)連絡が飛び込み、クリントン氏が(米軍増派の)決断を下すことはありませんでした」

 ――軍事行動の準備をとる一方、日本とはどのような協議をしたのですか。

 「(増派検討の)会議の前に、日韓を訪問しました。韓国では、在韓米軍や韓国軍の将軍らと会談し、(対北朝鮮の)作戦計画を再検討した。韓国防衛のための有事の作戦計画で、北朝鮮の電撃攻撃に備えたものでした。(従来の)計画は十分ではなく、ソウルが破壊される前に、北朝鮮軍を食い止められるのか、確信できなかった。それで我々は3万人の増派が必要だと結論づけました。それが米軍及び韓国軍との協議であり、私は当時、韓国政府高官や韓国大統領とも会談しました」

 「その前後に日本の首相(に内定していた羽田孜氏)と会い、実情を説明しました。私は『我々は戦争に突入することになるとは思わないが、その準備はしなければならない。もし戦争になった場合、在韓米軍への補給で日本の航空基地を使うことになる』と説明しました。首相には我々の計画を承知しておいてほしかったし、事前に承認を取り付けたかった。それで、私は、日本の航空基地を使うことで作戦計画が実行可能だと大統領に説明することができました」

■「日本側、合意を公表しないよ…

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