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 パラスポーツの競技団体を支援する「パラリンピックサポートセンター」に掲げられた壁画は2年前に香取慎吾さん自身が絵の具で描いた。その壁画の前で、香取さんが2人のパラリンピアンと語り合った。リオデジャネイロ大会代表、陸上の高桑早生さんと、自転車の鹿沼由理恵さん。なぜ、パラスポーツに打ち込むのか。パラリンピックをきっかけに、どんな社会や自分を目指すのか。

 鹿沼 (絵に触れながら)これ金メダルですか?

 香取 そう。目の不自由な人が触っても分かるよう、筆を使わずチューブで直接、絵の具を塗って凹凸を出したんです。車いすの人も触れられるようあえて低い位置に描いています。

 高桑 恥ずかしながらちゃんと見たことがなくて。

 香取 この絵は2015年のパラリンピックサポートセンターの開設に合わせて描いたんですが、どう?

 高桑 色使い、バランスがすてき。かわいいです。

 鹿沼 初めて触ったけど、暖かい感じがします。

 香取 鹿沼さんはここに何度か足を運んだ?

 鹿沼 ええ、何度か。

 香取 何で触ってくれなかったのよ?

 鹿沼 ええ! 触れてはいけないような気がして。

 香取 コーティングまでしたんですから。もっと触ってくれたらいいのに。

 鹿沼・高桑 みんなにアピールしておきます。

     ◇

 香取 高桑さんは左足のひざから下を失い、鹿沼さんは生まれつき目が不自由。体の一部の機能をなくしてもスポーツをやろうと思ったのはどうして?

 高桑 私は中学1年生、13歳の時に骨肉腫で足を切断しました。足を残すという選択肢もあったんですが、スポーツをするために切ることを選びました。

 香取 どういうこと?

 高桑 それまでテニスをやっていて、足がなくなってもスポーツのない人生は考えられなかった。動かせない足を残すより、動く義足。その方が色々なことができると思ったんです。

 香取 足を切る切らないということよりとにかくスポーツをしたかったんだ。鹿沼さんは?

 鹿沼 私は視力が0・02で、視界の真ん中が見えません。体を動かすのは学校の体育ぐらいでした。でもクロスカントリースキーの合宿に参加する機会があって、片手のない選手が滑っているのを知ったんです。

 香取 へえー。

 鹿沼 走りにすさまじいまでの迫力がありました。08年から本格的に競技を始めて、10年バンクーバー大会に出場して、仲間の表彰式で会場に国歌が流れるのを聞いた。心に染みたんです。私も「金メダルをとりたい」と思い、そこからのめり込みました。

     ◇

 香取 鹿沼さんのように生まれながら障害のあるひと、高桑さんのように、ある日、体の一部の機能を失ってしまうひともいる。選手たちを前に自分もそうなったらと考えてしまうけど、想像ができない。二人の家族はどうだったの?

 高桑 様々な思いは私より家族の方があったようです。周囲に障害者はいませんでしたからね。

 香取 ああ、そうか。

 高桑 両親は私の「自分で動けるようになりたい」という思いを尊重してくれました。だから、「危ないからやめなさい」ではなく「何でもやってみなさい」と。それでも母は、中学の3年間、一人で自転車通学をする私の送り迎えをしたかったみたいです。

 香取 鹿沼さんのご家族も自立を育んでくれた?

 鹿沼 買い物は兄よりさせられましたし、高野山の遠足前には、下見で登らされたこともありました。当日、みんなのペースについていけるようにと考えての行動だったようです。

     ◇

 香取 家族はみんな厳しくも、優しく包み込んでくれたんだ。二人は本当に真剣勝負の場で戦うアスリートなの、というぐらい穏やかな感じがする。1000日後の東京パラリンピックでは、競技に燃える二人の本気の姿が見たいなあ。

 高桑 もちろん見せます。パラスポーツをどれだけ魅力的に見せられるかは選手側のミッション。1000日後に向けて、競技場では迫力あるパフォーマンスができるアスリートになることが私の使命です。

 鹿沼 競技を極めながら、自分の壁を乗り越えていきたい。ゴールした時に「やり遂げた」っていう気持ちになれるよう、日々の練習を続けていきたい。

 香取 目標も聞かせて。

 高桑 100メートルは12秒台。走り幅跳びだったら6メートル近いジャンプをしてメダル争いに加わりたいです。

 鹿沼 リオ大会では自転車でメダルを取ったけど、不完全燃焼だった。その時、「鉄人」という言葉が思い浮かんで、これで燃え尽きようと思った。今度はトライアスロンで自分の限界に挑戦していきます。

 香取 僕はみなさんとお会いして、熱い思いや競技のことを知った。次はこれを「香取慎吾」を通してみんなに知ってもらえたらと思う。「慎吾ちゃん、そんなこと学んだんだね。私も知らなかったよ。そうなんだ」ってみんなに思ってもらえたら、うれしい。

 高桑 香取さんにパラスポーツの盛り上げ役を担ってもらえたら、いいですね。

 香取 ついてきてくれるファンはきっといると思う。だから、お力にはなれるはず。僕を通してパラスポーツに携わる人が増えていけば、20年大会の後の日本は変わっているはず。パラリンピックが盛り上がれば、そこから新たな日本が始まる気がするんだよね。

 鹿沼 香取さんにパラスポーツの「する、見る、支える」をやっていただければ、その影響力から障害者を取り巻く社会が変わるかも知れない。それが東京大会だけでなく、その先、次世代のパラアスリートたちにもつながっていけばいいなと思います。

 香取 パラスポーツをきっかけに日本が変わる。高桑さん、鹿沼さんに負けずに僕も頑張っていきます。(構成・榊原一生)

     ◇

 〈かぬま・ゆりえ〉1981年5月、東京都町田市生まれ。ウイッツコミュニティ所属。都立文京盲学校卒。25歳でノルディックスキー距離に出会い、10年バンクーバー・パラリンピック女子スプリント・クラシカル(視覚障害)7位。自転車に転向し、16年リオ大会では女子タンデム個人ロードタイムトライアル(視覚障害)銀メダル。現在はパラトライアスロンに挑戦中。

 〈たかくわ・さき〉1992年5月、埼玉県熊谷市生まれ。エイベックス所属。中学1年の時に骨肉腫で左ひざ下を切断。東京成徳大深谷高1年で陸上を始め、12年ロンドン・パラリンピック出場。15年世界選手権は走り幅跳びで銅メダル。16年リオ大会は同種目5位、100メートル8位、200メートルは7位。