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 まもなく「平成」が終わる。元衆院副議長の渡部恒三氏(85)は、自民・旧社会の与野党が対立した「55年体制」の時代から昭和・平成の政治の真ん中を歩いてきた。政界引退から5年。これまでの軌跡と今の思いを聞いた。(聞き手 菅沼栄一郎)

二大政党制、学生時代から議論

 いま思い出すのは、20歳になって初めての投票。浅沼稲次郎って書いたんだ。

 ――1952年。吉田茂首相の解散ですね。後に少年の凶刃に倒れた浅沼さんは当時右派社会党の書記長でした。

 何の違和感もなかったな。当時は自由党の石橋湛山事務所で私設秘書をしてたんだが、石橋も浅沼も早稲田の先輩だったから。

 石橋は後に自民党総裁選の決選投票で、2、3位連合を組んで、岸信介に7票差で勝ったんだ。あの時は「石橋をよろしく」って議員会館で運動したもんだ。

 ――1955年に自由党と民主党が合同、これに先だって社会党も左右両派が統一され、「55年体制」が成立しました。その入り口を、学生時代に体験したわけですね。

 早稲田大学の雄弁会でおれは幹事長だった。藤波孝生君(元官房長官)は副幹事長で、海部俊樹君や森喜朗君、小渕恵三君ら、後に首相になる男たちは後輩だった。そのころから、二大政党制の議論をしていた。

 社会党が掲げる社会主義はもはや国際的にも色あせていたんだ。政権交代は事実上、自民党内の派閥間で行われていた。

 ――55年体制が崩れるきっか…

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