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 2018年、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園、朝日新聞社・日本高野連主催)は、第100回記念大会を迎える。これまでに白球を追ったあまたの球児の中から、ほんの一握りがプロ選手の夢をかなえた。その中から秋田ゆかりの人たちが、自らの歩みや郷土の後輩へのメッセージを語ってくれた。まずは野球評論家の落合博満さん(64)から。

 ――野球を覚えたのは。

 「小学校に入る前だと思う。スポーツではなく、遊びですよ。だから1人でもできるし、遊びだから練習もする。目の前にある物をどうやって遊びに使うか、子どもたちは頭を使った。バットを買える人なんてそうはいないけど、それなら杭をなたで削ればいい」

 ――野球の原体験は、丸めたものを長いものでたたくイメージですか。

 「そう、野球イコール遊び。現代の人には通用しない理屈でしょう。今の人たちは遊び方が下手。器用にものを使いこなす習慣がないんだと思う」

 ――中学でも野球部に。

 「毎日練習していた。投手で4番。当時、秋田でおれが一番うまかったと思う。故郷・南秋田郡の大会の1回戦で負けたんだけど、地元紙のスポーツ欄に『怪童、1回戦で散る』って大きく書かれた」

 「野球で県内のどの高校にも行けた。学校関係者がうちに来て、『受験番号と名前さえ書いてくれればいい』と。ただ当時、数学と国語はできたけど、英語はまるっきりだめ。試験の答案用紙は白紙で出した。高校受験でも、英語は白紙で出したような気がする」

 ――プロ野球時代、外国人選手とどうやって話を。

 「ここは日本だから、日本語を話せって言うよ。現役時代から、落合はそうなんだと浸透していたんじゃない。『おれ、英語わかんないから』って言えば、向こうも必死に『こんにちは』と覚えてくるよ」

 ――秋田工を選んだ理由は。

 「一番練習が楽だろうなと思った。でも、とんでもなかった。上級生が『おれは1年先輩なんだから、言うことを聞かないといけない』と下級生にものを教える。それになじめなかったね。村で育ったので、横のつながりというか、みんな仲間意識があるでしょ。それが秋田市に出て、こんな違いがあるんだって初めてわかった」

 「部にも学校にも行かない、俗に言う不登校。映画館ばかりに行っていた。3年間ずっと。でも試合前、『出席日数が足りないから出てこいよ』と言われて、仕方がないから出て行く。すると放課後、野球部の先輩が教室の前で待っている。『行くぞ』って。それで大会には出るんだけど、終わればまた行かない」

 ――不登校の間、練習はしなかったのですか。

 「目の前の電柱をバットで引っぱたいたり、山の中でバットを振ったりしたよ。当時、電柱は木でできていたので、穴が開いて怒られた。電気が消えるって苦情も来たね」

 ――東洋大でも野球をやっています。

 「半年でやめたよ。肩と足をケガしたのもあるしね。監督が『復帰は2年生になってからでもいいから』と言ってくれたけど、『もうやめさせてください』と言って秋田に帰った」

 ――実家では放心…

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