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 今年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の「顔」として、広島での被爆体験を世界で証言してきたサーロー節子さん(85)=カナダ・トロント在住。

 ICANの受賞の意義や、自身のことについて話したこれまでの回に続き、核廃絶に向けて日本やアメリカがどう向き合うべきかについての考えなど、トロントでのインタビューの内容を紹介する。

サーロー節子(せつこ) 1932年広島市生まれ。13歳の時に被爆。54年、広島女学院大を卒業して米国留学。結婚してカナダに移住。75年にカナダ初の原爆展をトロント市庁舎で開催。2006年カナダ勲章を受章。07年に発足したICANの「顔」として世界各国で被爆体験を証言、17年の国連本部での核兵器禁止条約交渉会議でも演説した。

ビキニ被曝当時、アメリカ人の意識

 ――サーローさんは1954年にアメリカに留学しました。ちょうど、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が太平洋ビキニ環礁でのアメリカの核実験で被曝(ひばく)した年ですが、地元メディアの取材に「アメリカは悪いことをした」という趣旨のことを言われました。

 そうです。あのころのアメリカ人たちには、全然、そんな意識なんてありませんでした。

 ――「リメンバー・パールハーバー」ですか。

 (原爆投下を命じた、当時の)ハリー・トルーマン大統領自身、そういう態度でした。みんな文句を言わないでのみ込んでいたんですから、これは戦時中に私が日本で目撃した日本人の行動と同じだと思いました。(アメリカは)民主的な国とか、フリーな国とか言いますが、そういうものではなかった。戦後、広島からの訪問団に彼は「何度でもやるよ(原爆を使うよ)」と話していました。それを報道で知った広島市議会が怒りました。

 ――(元新聞記者で核兵器廃絶を求めて活動している)トルーマン大統領の孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルさんがジョー・オダネルという被爆直後の広島・長崎を撮影したカメラマンから聞いた話によると、戦後、ホワイトハウスのカメラマンになったオダネル氏が1950年代にトルーマン大統領に同行してウェーク島に行って2人きりになった時、広島・長崎への原爆使用を後悔しているかどうか聞いたそうです。「あなたは後悔しているのですか」と。トルーマンは「後悔しているに決まっているだろ!(Hell, yes!)」と答えたそうです。日本の降伏を促すため、広島に続き、東京の完全破壊を勧める上院議員に対しても、大統領は1945年8月9日付の手紙で「国家指導者たちが強情だからという理由で国民を皆殺しにしてしまうことを私自身はおおいに後悔しているのです。私としては、極限までに必要でない限りは、それ(原爆)を使うつもりはありません」と書いてありました。(トルーマン図書館所蔵)

 そういう証拠が見つかったと。いままでそういうことは信じられなかったです。うれしいですね。そういうものが見つかったというのは。(孫である)クリフトンさんは葛藤していたかもしれません。退役軍人の言ったこと、被爆者の言ったこと、両者の説明だけをして、自分の立場は示さなかったと私は思います。いつの日か彼も、自分の立場が明瞭になるようにと思いながら友達として付き合いました。どこまで歴史的な事実と正面から向き合うのだろうか、と。

 ――クリフトンさんは今、あるシナリオを書いているそうです。それはサーローさんが祖父のトルーマン大統領に会ったらどうなるかというものだそうですが。

 当初、クリフトンさんは私に会うのが怖かったと思います。私ははっきりとものを言います。特に歴史的な事実を。被爆者の人はアメリカに来てそういうことは言いたくないのです。アメリカ人の気持ちを悪くさせるようなことを言いたくない。被爆者が「いえいえ、日本人はちっとも怒っていませんよ」なんて、うそばっかり言っている。それはいけません。

■精神医学者が書いた「罪の…

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