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 美容師というと、カリスマ美容師を思い浮かべるかもしれません。華やかな世界だと思うかもしれません。

 けれど、仕事は超ハード。たとえば、カット技術などの勉強会は、美容室の営業が終わってからするのが通り相場です。残業代はつかないし、時給にも反映されないのが常識なのだそうです。

 トイレをガマンしてお客さんの対応をするので、膀胱(ぼうこう)炎になってしまうこともあるのだとか。

 それでいて、給料は高くありません。だから、5年で9割の人が仕事をやめてしまうのだそうです。

 新潟県の上越市に、「京(きょう)美容室」という会社があります。市内に美容室を3店、ほかに、エステ、ネイル、ブライダル美容などをしています。

 ここの社長、関原英里子さん(56)は、美容室業界の常識にとらわれず、さまざまな働き方改革をしてきました。人らしく生きることができる職場にしたいという思いを貫いています。

 その結果、関原さんの会社では離職する人はほぼゼロとなり、出産でやめたあとの復帰率も95%を誇ります。復帰しない美容師は夫の転勤にともなう引っ越しなど、やむにやまれぬ事情があってのことです。

 自分の美容室だけ良ければいい、というのではありません。業界全体がすこしでも良くなるようにと知恵を絞っています。

 でも、関原さんも、かつては……。

 今回と次回は、彼女の物語です。

     ◇

 関原の母は、ちいさな美容室をいとなんでいた。人気の店で、おおいにもうかっていた。父はアルコールにおぼれる郵便局員だった。

 美容師として忙しかった母は、妊娠してもめいっぱい働いた。だから、流産してしまう。また妊娠、流産。それを繰り返してしまった。

 夫婦は話し合った。子どもはあきらめる、が結論だった。美容室の後継ぎ候補がいなくなるので、養女をもらった。

 ところが、不思議なもので、まもなく、男の子が生まれ、さらに1年後、関原が生まれた。

 関原を妊娠したとき、母は、産婦人科医に中絶を申し出た。

 医師は、こうたしなめたらしい。

 「子どもができないから人のお子さんをもらっていて、子どもができたらおろす。そんなことが許されると思っているのですか!」

 関原は、仕方なく生まれた子だった。

 両親は、養女になってくれた姉をかわいがった。父は、酒を飲んでは、関原に暴力をふるった。関原は、はだしで家から逃げた。そんなことの繰り返しだった。美容師として稼ぐ妻を見て、父は引け目、そしてストレスを感じていたのかもしれない。そのはけ口が、酒、そして関原だったのだろう。

 のちに関原が、新潟県中小企業家同友会という団体に入って「理想の経営者」になろうと考えはじめたとき、指導役をしてくれた経営者に言われた。

 「お父さんはつらくて、実の娘に甘えていたんだね」

 そう言われて、父の墓参りに行くようになった。

 子どものころの関原に話を戻そう。

 父に抑圧され、小学生のころは、おとなしかった。引っ込み思案だった。自分の思いを伝えられなかった。自分を出すことがなかった。

 将来、ふつうに暮らせればいいと思っていた。ただ、母がしていた美容師にはなりたくなかった。

 12歳、中学に入る。まもなく、暴力をふるっていた父が亡くなった。父から解放された。すこし、自分というものを出すことができるようになった。

 けれど、複雑な家庭環境。そして、母が人の保証人になるなどして、家庭は金銭的に苦しくなっていた。

 母は「高校は出してあげる」と言った。ただし、公立高校を落ちたら美容室で修業する、という条件をつけられた。

 高校に入り、バイトざんまい。レストラン、かっぽう。プールの監視員。デパートのチラシのモデル……。かけもちで、多いときには月20万円ほどかせいだ。家に全部入れた。

 そして、東京の美容師専門学校の通信教育も受けさせられた。

 気がつくと、母の敷いた「美容師」へのレールに乗せられていたのである。

     ◇

 高校を卒業したら美容室に修業にいく。関原は、家から出たかった。なので、修業先は東京にしたいと言った。母は言う。

 「東京に行ったら、麻袋につめられて川に流される」

 長野の温泉町に、住み込みの美容室があった。でも、となりがストリップ劇場だった。母は言う。

 「こんなところに娘を勤めさせることはできない」

 そして、家から通える美容室に行くことになった。

 そこは、閉店後、カットなどの勉強会をする。

 勉強会、無給です。

 残業代、ありません。

 ボーナス、ありません。

 有給休暇、ありません。休みは月4日。

 交通費、自腹です。

 はさみ代、練習道具代などなど、自腹です。

 それが美容室の常識だと知った。給料は、高校生のときのバイトによる稼ぎより、はるかに少なかった。でも、美容師として一人前になるんだと必死に働いた。

 その美容室で働きはじめて3年目のとき、火事で美容室がなくなってしまった。母の美容室を手伝うことにした。

 関原には、美容師としての向上心が、消えた。

 結婚式があるときは忙しかった。でも、それ以外は、お客はちらほら。給料をもらうわけでもなく、お客と、お茶を飲んで過ごした。

 24歳で結婚した。まもなく子どもが生まれた。夫は設計事務所をしていた。事務所をあたらしく建てるという。美容師としての向上心がよみがえった。「美容室もつくって」

 32歳で美容室をオープンした。家を一軒、一軒、まわって営業した。来店客がどんどん増え、バイトを雇うなどしていった。人を入れて、次の店舗をつくって。そして、有限会社にした。

 関原の口癖は、これだった。

 「あー、忙しい、忙しい」

 関原の経営は、自分が経験してきた美容室業界の常識どおりの経営だった。

 稼いでいるのは自分。従業員は「駒」。雇っても3日でやめる人がいた。やめたい人は、やめればいい。補充はいつでもできる。

 「あー忙しい、忙しい」

 関原の口癖、全開である。

 そして……。彼女は、こてんぱんにたたきのめされることになる。(敬称略、つづく)

     ◇

 中島隆(なかじま・たかし) 朝日新聞の編集委員。自称、中小企業の応援団長。著書に「魂の中小企業」(朝日新聞出版)、「女性社員にまかせたら、ヒット商品できちゃった」(あさ出版)、「塗魂」(論創社)。12月20日に「ろう者の祈り」(朝日新聞出版)を出す。手話技能検定準二級。

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