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 2017年は、将棋界の歴史に刻まれる数々のニュースがあった。史上最年長棋士となった加藤一二三九段(77)の奮闘の末の現役引退。羽生善治竜王(47)が成し遂げた初の「永世七冠」。そしてもう一つが、21世紀生まれの中学生棋士の快進撃だ。

 愛知県瀬戸市在住の藤井聡太四段(15)。1年前の12月24日、加藤とのデビュー戦を制し、連戦連勝。徐々に注目度は高まっていたが、一躍スターダムに駆け上がる出来事があった。

 2017年4月23日。インターネットテレビ局「Abema(アベマ)TV」が企画した対局で、当時14歳の藤井が、三つのタイトルを保持していた羽生に挑んだ。非公式戦ながら、多くのファンの視線が注がれた。

 前年にプロ入りした新人と、将棋界の「レジェンド」とも言える第一人者。実績には天と地ほどの差があるが、「大番狂わせ」の前兆はあった。

 藤井は前年10月、史上最年少の14歳2カ月でプロ入りした。10年、20年に1人とも言える原石に、目を着けたのがアベマTV。将棋番組を配信する「将棋チャンネル」のサービス開始を翌年2月に控えていた。その目玉として、藤井が、若手強豪や羽生らトップ棋士7人と戦う「藤井聡太 炎の七番勝負」が企画された。

 将来有望とは言え、まだ大きな記録を残したわけではない。企画に携わった鈴木大介九段(43)は「(名人挑戦権を争う)A級順位戦に所属する棋士でも、勝ち越すのが大変な顔ぶれ。2勝できれば御の字だと思った」と振り返る。

 だが、藤井は、その見立てをあっさり覆した。第2局こそ永瀬拓矢七段(25)に敗れたものの、後に羽生を破って初タイトルを獲得する中村太地王座(29)、A級棋士の深浦康市九段(45)を撃破し、6局目を終えた時点で5勝1敗。予想以上の勝ちっぷりで最終第7局の羽生戦に臨んだ。

 東京都渋谷区のスタジオで対局が収録されたのは2月。プロ入りして、まだ3連勝した頃だった。先手番を握った藤井は、攻撃的な戦法である「角換わり」を選択。羽生はこれを受けて立った。

 中盤、好機を逃さなかった藤井が攻め込み、羽生の玉将は絶体絶命の状況に追い込まれた。だが、ここで、羽生は持ち駒の金を手にして△6九金と王手。藤井は「読み筋にない手で動揺した」という。だが、対処は正確だった。13手進んだ局面で羽生は「負けました」と告げ、頭を下げた。インタビューに対し、「新人とは思えないぐらいの落ち着きがある。どんな棋士になるのか楽しみ」と語った。

 収録後、藤井は報道陣の取材に応じた。羽生との対戦について「対局できるだけで光栄。素直にうれしい」と語った。七番勝負で6勝1敗という結果については、「全敗する可能性もあると思った。とても自信になった」。穏やかな口調で振り返った。

 実は、今回と似た企画を、1985年に中学3年でプロになった羽生自身も経験している。専門誌「将棋世界」が87年に企画した特別対局で、羽生は当時の名人、中原誠(70)らトップ棋士5人と戦い、4勝1敗の成績を収めた。反響は大きかったが、社会全体に広がるニュースにはならなかった。

 しかし、「観(み)る将」といった言葉が生まれ、将棋界がメディアに露出する機会が格段に増えた現在は違った。藤井は4月の時点で、既にプロ初戦からの連勝記録「11」を樹立してはいたが、羽生戦の勝利を機に民放の情報番組などの取材が殺到。対局の模様や食事の注文内容などが生中継され、日本将棋連盟が関連グッズとして作った藤井の扇子は飛ぶように売れた。

 「藤井フィーバー」の始まりだった。

 アベマTVでの対局後のこと。羽生と公式戦で対局をするのはいつになりそうか。報道陣のそんな質問に、藤井はこう答えた。「早く戦えるように頑張ります」

写真・図版

 もしかすると、その機会は早く訪れるかもしれない。藤井は、1月に名古屋市で始まる朝日杯将棋オープン戦の本戦に史上最年少で出場する。組み合わせでは、藤井、羽生がそれぞれのブロックで2回戦を突破すると、準決勝で盤を挟むことになる。(村瀬信也