【動画】高校時代を振り返る元ソフトバンク投手の斉藤和巳さん=興津洋樹撮影
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 来夏、全国高校野球選手権大会は第100回を迎える。22年前に京都から甲子園をめざした元プロ野球ソフトバンク投手の斉藤和巳さん(40)に高校時代を振り返ってもらい、練習を続ける球児たちへのメッセージを聞いた。

 ――高校時代、甲子園出場は果たせませんでした。

 ぼくは精華町の南京都高校(現・京都廣学館)で甲子園を目指していました。京都大会でたまに頭角を現すダークホースでした。

 3年の夏の京都大会は悔しい思い出です。最後の試合は準々決勝。東山(左京区)戦でした。僕は三回途中でKOされ、0―10で五回コールド負けしました。すべてがうまくいかず、打たれ続けたことしか覚えていない。ふがいないピッチングのせいで負けた。仲間にすごく申し訳ない気持ちでした。

 その年の春季と前年の秋季の大会で、東山に連敗していました。「三度目の正直で必ず勝とう」。夏の試合前、みんなで言い合っていました。

 負けた後、スポーツマンらしくしっかり振る舞おうとしました。「早く並ぼう」。ぼくは仲間に声をかけました。握手を交わした後、東山の数人がぼくのところに来て、「プロに行っても頑張れよ」と言ってくれたんです。その瞬間、緊張が切れ、涙が止まらなくなりました。このチームでの野球はもうないという実感がわいてきて。

 ――高校時代の経験がどう生きましたか。

 高校の練習で思い出すのは走り込みです。毎朝7時半から1時間の朝練があり、3、4キロの坂道まじりのコースでタイムを競います。冬場はもっときつい山道の10キロコースです。ここは速い部員で約50分、遅い部員で1時間ちょっとかかります。走ることが苦手だったので、ぼくは中盤から少し後ろくらいでした。

 甲子園が近いと感じたことは一度もありません。その距離がどれくらいかもわかっていませんでした。ただ、しんどい練習を耐えたことが基礎になり、プロでも頑張り続けることができました。

 ――京都勢は夏の甲子園の優勝から60年以上遠ざかっています。

 京都大会のことはやはり気になります。新聞で探したり、地元の友達に聞いたりしていますね。京都代表が全国優勝してくれたらうれしいし、それが母校だったらもっとです。

 高校野球は仲間と泥まみれになりながら、ただ甲子園をめざすもの。しんどかった経験を振り返り、いつかみんなで笑えるときがきます。勝ち進んだり甲子園に出られたりすれば、さらにいい思い出になります。

 部活動ができるのは2年半限り。貴重な時間なんです。ぼくは今でも、濃密な時間を過ごした高校の仲間と集まり、当時のことを話します。

 選手が勝ちにこだわるのは仕方ないです。ただ、勝ち負けより大事なものがあります。それを伝えるのが大人の役目でもあるので、周りが勝ちにこだわりすぎてはいけない。勝ち負けを気にする選手をあおることになります。

 ――100回大会に挑む球児に何を伝えたいですか。

 100回大会でプレーできることはいい記念になります。将来も語り継がれる記念大会で、仲間と甲子園をめざす時間は今しかありません。その時間を大事に、仲間を大事に、出会いをくれた野球を大事にしてください。(聞き手・興津洋樹)

     ◇

 〈さいとう・かずみ〉 南区出身の野球解説者。南京都高校(現・京都廣学館高校)のエース右腕として、1995年(第77回)の夏の京都大会に出場して8強入り。卒業後、ドラフト1位で現・ソフトバンクに入団した。2003年には16連勝して20勝3敗。最多勝、最優秀防御率、最優秀投手、沢村賞を総ナメにし、チームを日本一に導いた。05年には史上2人目の開幕15連勝を達成。06年は18勝5敗で、パ・リーグ史上初めて2回目の沢村賞に輝いた。192センチの長身から投げ下ろす最速153キロのキレのある直球で勝負してきたが、肩の故障で08年から試合から遠ざかり、13年に引退した。プロ通算79勝23敗。勝率7割7分5厘の驚異的な記録を残した。40歳。

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