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 健康あってこそのスポーツなのに、勝利を追求するあまり、厳しい食事制限や、反対に無理やりたくさん食べることを強いられて、心身をむしばまれる選手がいます。トップ選手だけでなく、部活動に励む子どもたちも無関係ではありません。「食べること」に苦しむアスリートについて考えます。

陸上「体重軽く」の呪縛

 国際大会で優勝経験がある女子マラソンの元トップ選手がコンビニで清涼飲料水や化粧品などを万引きしたとして窃盗罪に問われ、昨年11月、執行猶予付きの有罪判決を受けました。理由として本人が法廷で語ったのは、選手時代に食事制限が原因で始まった「摂食障害」でした。

 裁判での証言などによると、厳しい体重制限などが原因で、現役時代に症状が出始めました。引退後も不安を感じると食べては吐く、の繰り返し。吐くための食費を惜しむようになり、食品を万引きするようになったそうです。地元の病院に通いましたが、身内から「恥さらしだからやめろ」と言われ、通院をやめました。

 女子の長距離ランナーは、厳しい食事制限や体重管理を強いられることがよくあります。順天堂大女子陸上競技部監督の鯉川なつえスポーツ健康科学部准教授が女子の高校駅伝の強豪校を訪れると、グラウンドの片隅などで女子選手が順番に体重計に乗り、その体重の数値を男性の指導者が腰に手を当てて見下ろしている光景をしばしば目にするそうです。こういった指導は強豪校に限らずよく行われていると言います。

 鯉川准教授は、「目先の結果を優先し、『太ったら走れない』『女はすぐ太る』などとプレッシャーをかけて選手を管理する指導者があまりに多い」と指摘します。日本の女子長距離界では、「体重を減らせば速く走れる」という短絡的な指導がはびこっているといいます。

 鯉川准教授は「エネルギー不足からの摂食障害や無月経、疲労骨折を招くリスクがあると知りながら、減量を指示している指導者が多いことも悪質」と構造的な問題だとも話しています。

 鯉川准教授が2015年、全日本大学女子駅伝に出場した選手314人に行った調査によると、体重制限をしたことがある選手は71%。指導者から「ご飯を食べるな」などと指導されたことのある選手も25%いました。月経が止まった経験のある選手は73%。栄養不足や無月経が原因で起きる疲労骨折も45%が経験していました。

 鯉川准教授は、高校時代に受けた減量へのプレッシャーから、食事をうまく取れなくなった女子選手を毎年のように見ています。大学4年間かけて、「食べなければ勝てない」と根気強く指導。しっかり食べても自己記録を更新できるのがわかって、初めて呪縛から解放されるそうです。

 鯉川准教授は、全米大学体育協会(NCAA)には摂取エネルギー不足や無月経などが認められた選手は大会に出場できないルールがあることを例に挙げ、「日本でも指導の妥当性や選手の健康状態を出場条件にする仕組みがあってもいい」と指摘しています。(伊木緑)

男子柔道の減量苦「食べて、吐く」

 摂食障害は女子選手だけの問題ではありません。16年に引退した柔道男子73キロ級世界王者で、現在は了徳寺学園で指導する秋本啓之(ひろゆき)さんは一つ下の66キロ級だった時、減量苦が原因で、5年以上にわたる過食嘔吐(おうと)を経験しました。

 「苦しくなるまで食べて、吐く」ことが始まったのは、柔道で頭角を現し始めた高校生の頃でした。最もひどかった大学時代には「授業の合間など暇さえあればコンビニで両手いっぱいの食べ物を買って、食べては吐くのが日課だった」といいます。

 ところがスタミナ不足で2006年ドーハ・アジア大会で惨敗するなど、次第に試合にも弊害が出始めました。コーチに過食嘔吐を告白し、心療内科を受診。コーチの家族と一緒に食卓を囲んで食事の世話をしてもらうなど手を尽くしましたが、結局完治したのは09年に73キロ級へと階級を上げてからでした。世界王者になれたのは、その後のことでした。

 多い時には、10キロ以上の減量が必要だったという秋本さん。「おまえの最大の敵は減量だな」などと、周りが励ましのつもりで口にする言葉さえ、ストレスになっていたと振り返ります。「いつの間にか柔道を楽しむのではなく、減量のために柔道をするようになっていた」

 秋本さんは、柔道のような体重調整が必要な競技で摂食障害を防ぐには「階級を上げるしかないのでは」といいます。ただ秋本さんの場合、大学時代にはすでに日本の66キロ級で一、二を争う立場を確立。階級変更を考える余地はなかったそうです。自らの競技人生を振り返り、育ち盛りのジュニア世代に向けて「ごはんをいっぱい食べて、自分に一番合った階級で思い切り柔道に打ち込んでほしい」と話しています。

銀盤からも悩みの声

 体重が軽い方がジャンプを跳びやすくなると考えられてきたフィギュアスケート。今季、トップ選手の摂食障害が報じられました。2014年ソチ五輪女子4位のグレーシー・ゴールドさん(米)は平昌五輪出場を断念。昨年11月17日、「私はうつ、不安障害、摂食障害の治療を続けている」などとコメントしたのです。

 ゴールドさんは16年秋、体重についての悩みを報道陣に明かしました。その場にいたフリーライターの田村明子さんや、USAトゥデー紙の報道によると、「昨季も今季も、ずっと(体重に)苦しんできた」と発言。ある記者が「十分やせている」と声をかけると、「ありがとう。でも、この競技はやせた人のスポーツ。今の私はそうではない」と話したといいます。

 ソチ五輪でロシアの団体金メダルに貢献したユリア・リプニツカヤさんも昨年9月、拒食症であることを明らかにし、引退を表明しました。「拒食症は21世紀の病気だが、誰もが対処できるわけではない」と語り、人気が重圧になったと打ち明けました。日本ではソチ五輪8位の鈴木明子さんも摂食障害で苦しんだ経験があります。大学時代、3カ月足らずで体重が15キロ減って33キロまでやせ、再び氷上に戻ってくるまでに約1年間の療養生活が必要でした。

 一方で、昨年12月の全日本選手権で4連覇を達成した宮原知子さん(関西大学)は、食べて体重を増やすことで、けがを予防し、ジャンプも跳べる体づくりを目指しました。

 約1年前に左足股関節を疲労骨折し、昨季の2月以降の大会を欠場。そのころは、「試合で重く感じるのは嫌だと思って、あまり食べないようにしていた」といいます。体重37キロ、体脂肪率6%でした。

 骨に栄養が足りなかったことが疲労骨折につながったと考え、今季は発想を変えました。摂取カロリーを1日1900キロカロリーに増やし、昨年8月には体重42キロ、体脂肪率12%までに。練習量が増え、試合で緊張したり頭を使ったりする11月は摂取を2450キロカロリーにして、体重が40キロを割らないように努めました。

 睡眠時間も3時間増やして8時間を確保するようにした結果、身長が約2センチ伸び、垂直跳びも1・5センチアップ。お尻の筋肉を鍛えて滑りも力強くなり、平昌五輪代表を勝ち取りました。(後藤太輔

野球の恩師「残していいよ」

 「無理して食べるな、残していいよ、と言われたのが大きかった」。創価大野球部2年の下小牧淳也(あつや)さんは、高校時代の恩師、日大三高(東京)の小倉全由(まさよし)監督からの言葉に救われたと振り返ります。

 下小牧さんが食事で悩み出したのは、小学2年の夏。少年野球チームの合宿で、苦手なピーマンを食べるよう指導者に強制されたのが契機でした。「食べないと体が大きくならないぞ」と言われ、食事を負担と感じるように。やがて食べれば吐くようになり、試合中も吐き気をこらえながら打席に立ったそうです。

 中学は硬式野球チームに所属し、練習にはプラスチックの食品保存容器に米飯を詰めて持参するよう指導されました。米の量は決められていなかったものの、2合の弁当を食べるようにしていました。体づくりをしてから技術を身につけるというチームの方針には納得していましたが、吐き気は続き、医師には「精神的な問題」と診断されました。

 日大三高では入学時から寮生活。甲子園で春夏計3度の優勝経験がある名門校は、強打が持ち味で体格の大きな選手がそろっていました。体重が60キロ台後半と細身だった下小牧さんは、出場機会を得るには「食べなきゃいけない」と思い、自身の症状を誰にも打ち明けませんでした。

 しかし、高2の新チーム初日の夕食で吐いてしまいました。「副主将になり、仲間を引っ張っていかなくてはいけないというプレッシャーもあった」。その姿を見た小倉監督は下小牧さんにある提案をしました。

 小倉監督は「ご飯は、おいしく楽しく食べよう」がモットーでした。寮の朝食は米飯ですが、下小牧さんのためにコーンフレークを用意しました。重圧がかかる試合の日の朝など、負担感を減らすための配慮でした。下小牧さんは「仲間も気遣ってくれた。三高でなければ野球をやめていたかも」。堅守の遊撃手として活躍しました。

 大学でも正選手の座をつかんだ下小牧さん。食事は自己管理で任され、症状ともうまく付き合いながら練習を続けています。自身の経験から、指導者に対しては「ささいな一言で変わってしまう。できるなら優しい言葉をかけてあげてほしい」と願っています。(辻健治)

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