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 2003年夏の甲子園決勝。ダルビッシュ投手が2年生エースだった宮城・東北高校と対戦した。私はそのとき、茨城・常総学院高校の下位打線に入り、二塁を守っていた。

 決戦に入る前、一つのモチベーションがあった。

 「ヒットを打てば、孫の代まで自慢できる」

 常総は、当時72歳の木内幸男監督が、この夏限りでの勇退を表明していた。私も含め3年生は、ただでさえ自分たちの最後の夏。そこに加えて負けた瞬間、約半世紀も高校野球の指導者を務めた人の監督生活も終わる。重かった。甲子園決勝は、勝っても負けてもこの試合が最終戦。最も重圧がない一戦だった。

 同時にダルビッシュ投手が将来、すごい投手になることは、常総の全員が分かっていた。前日の準決勝に登板しなかったから、決勝は先発だろう――。そう読み「万全なダルビッシュ」だけを想定し、対策を練った。

 当時は決勝の試合前、グラウンドでフリー打撃ができた。常総は右の速球派投手が、投球板の1、2メートル前から全力投球。私はすべて差し込まれ、打球が内野手の頭を越えずに練習を終えた。「本番、大丈夫か、これ」と思ったものだ。

 本物のダルビッシュは、そんな私でもレフト前に流し打ってヒットを飛ばせたことを踏まえると、本調子から遠かった。「普段から練習をしない」といううわさが届き、大会中もケガがち。真夏の甲子園で投げることは、成長過程の体にとっても苦しかっただろう。

 半分は冗談だが、孫の代まで自慢するために、彼には常に野球界の最前線で活躍してもらわなくては困る。「練習をしない」というイメージも、今では杞憂(きゆう)に終わった。

 合理的なトレーニングや栄養摂取で体をつくり、新しい取り組みを探る姿を本人のツイッターなどを通じて見ると「もともとすごい選手が、更に成長するための手段もつかんだ」と感じる。「プロ入り後、ストイックさに目覚めるきっかけが、何かあったのでは」と思っていたが、今回のインタビュー記事で高校時代から「納得いかない練習は絶対にしたくないと強く思っていた」と知り、疑問が解けた。「では高校時代、どんな練習をしていたのか」は今後、機会の許すときに聞いてみたい。

 ダルビッシュ投手に関して思うのは、言動が何かと目立ち「日本的な社会」に、なじめない。特に最近は、なじもうとも思っていない。ただ野球人として一途で、律義な面がある。

 あの一戦。私は彼に死球を当てられ、直後に謝られた。しかし一塁に向かっている途中だったため気付かず、塁に達して目が合ったとき、また謝られた。彼はこちらが気付くまで頭を下げたのだ。

 2016年に私が米国出張した際、レンジャーズのクラブハウスで、彼に名刺を渡してあいさつした。甲子園決勝で戦った過去を明かし、「1度の死球で2度も謝る投手は、初めてだった」と昔話をした。

 彼は「いや、全然律義じゃないですよ」と言いながら、右手を差し出した。前日にトミー・ジョン手術からの復帰登板を果たした手で、13年前に対決しただけのほぼ初対面の記者と握手を交わしたのだった。(井上翔太

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 朝日新聞記者。プロ野球担当。2008年に入社し、熊本総局、津総局。大阪本社スポーツ部では主に相撲やプロ野球阪神、オリックス担当。この1月から東京本社スポーツ部。ツイッターアカウント(@Shota2008)

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