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 イタイイタイ病の損害賠償請求訴訟の中心的存在だった故小松みよさんの生涯を、イタイイタイ病を語り継ぐ会代表の向井嘉之さん(74)が「イタイイタイ病との闘い 原告 小松みよ」にまとめた。来年1月に刊行される。来年は訴訟の提訴と同病の公害病認定から50年。向井さんは「小松さんの人生を通して公害について考えるきっかけになれば」と話している。

 北日本放送でキャスターなどを務めた向井さんが、約20年間にわたり小松さんを取材した記録や文献を基にして執筆した。

 小松さんは1918年、旧婦中町(現富山市)に生まれた。地域は農業や生活用水をカドミウムで汚染された神通川に頼り、実母と義母が相次いでイタイイタイ病を発病して亡くなった。自身も30歳を過ぎて発病する。胸から始まった激痛が全身に広がった。骨も弱くなり、骨折を繰り返して身長は約30センチも縮んだ。

 向井さんが知り合ったのは66年。患者や遺族の間で裁判に向けた動きが始まった頃だった。向井さんは「『業病』と言われ、取材を嫌がる患者が多い中、小松さんはどんなに体がつらい時でも絶対に取材を断らなかった」と振り返る。

 68年3月、小松さんら患者と遺族計28人が原因企業の三井金属を相手取り損害賠償を求めて提訴。訴訟で小松さんは、病気への差別や偏見から「業病」や「奇病」と言われてきたことについて「その苦しみは味わったものでなければわからない」と訴えたという。

 71年に一審で勝訴。小松さんは会見で「すでに亡くなられた方も、今までいらっしゃればどんなに喜んだことでしょう」と述べた。

 85年に小松さんが66歳で亡くなるまで、向井さんは50回以上取材。最後のインタビューで小松さんは「公害はないということはないでしょう。次々と公害が出て、公害病が出てきますから」と述べたという。

 日本の近代を「戦争と公害を踏み台に、いのちを切り捨ててきた」と指摘し、「そして行き着いたのが福島第一原発事故」と書く向井さん。「公害はなくならない」という小松さんの言葉を「原発の恐るべき事故を暗示していたような気さえする」と記している。

 A5判、216ページ。1620円(税込み)。問い合わせは、イタイイタイ病を語り継ぐ会(076・438・2830)。

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http://www.asahi.com/apital/medicalnews/focus/(松原央)