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星野監督の中日時代、担当記者が振り返る

 強く激しいイメージが色濃い人だけに、震えるような涙声が胸に残っている。

 「入退院の繰り返しでしたが、必死に闘ってくれました。あんなに頑張った女房をほめてやりたいです」。1997年2月。当時、50歳。新設されたナゴヤドームでの開幕を控えたキャンプイン前日の1月31日に、妻の扶沙子さん(享年51)が亡くなった。

 プライベートだけではなく、私が中日ドラゴンズを担当した96、97年はチームもなかなか結果を出せず、もがき苦しんだ時代だった。95年秋、5シーズンぶりに2度目の監督就任。「オレについてこい」と、鉄拳も辞さなかった1期目とは違い、指導は専らコーチに任せて選手自身の自覚を促した。

 しかし96年はナゴヤ球場で最…

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