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 マラソンで東京五輪をめざす実業団の陸上選手、糟谷悟さん(34)。2013年に悪性リンパ腫を発症し、治療を経て競技への復帰を果たしました。どんな思いでがんと向きあってきたのでしょうか。お話を伺いました。

練習中に異変、「絶対、何か起きている」

 29歳だった2013年、ステージⅡの悪性リンパ腫と、診断されました。

 最初の異変は練習中。走っているときに「風邪をひいたような感覚」がありました。力が伝わりにくかったり、呼吸が上がりやすかったり。うまく前に進まない感じだったんです。それがずっと続いて、「これは普通じゃない」と。

 近所のクリニックに行くと、「精神的なもの」と言われました。「そんなはずはない」と思いました。メンタルは弱くないし、何よりも練習のときの感覚が異常だった。僕がアスリートでなければ、納得していたかもしれない。でも、「絶対に、自分の体に何か起きている」という確信がありました。

 大きな病院を紹介してもらったのですが、最初の診断はやはり一緒でした。納得できず、「上から下まで検査してほしい」とお願いし、大腸の内視鏡検査でがんがみつかりました。「やっぱり自分の感覚が正しかった」と思いました。

かすや・さとる
1983年愛知県生まれ。中京大中京高校を経て、駒沢大学に進学。箱根駅伝に4年連続出場し、うち3回は優勝、2回区間賞をとった。2006年、トヨタ紡織に入社。13年悪性リンパ腫を発症。入院治療を経て14年に競技復帰した。マラソンの自己ベストは2時間11分17秒。

闘う方法が分かった。だから立ち向かう

 診断がついてほっとした部分もありました。自分の体に何が起きているのか、分からないときのほうが怖かった。陸上と一緒です。故障したとき、原因が分からないのが一番怖い。どう対応していいか分からないからです。

 診断がついたとき、治療法は確立していると言われました。闘う方法が分かったんだから、まずは、それに向かってやればいい。

 陸上で故障したとき、故障した事実は変えられないけれど、そこから何ができるか、と考えます。病気も一緒。病気になったことは変えられないけれど、なったなかで何をしていくか考えることが必要。そう考えました。陸上に対する考え方を、病気と闘うときの考え方にあてはめる。「陸上脳」がはたらきました。

親に伝える。自分のがんよりつらかった

 診断がついたころ、がんと闘っていた兄貴と慕っていたいとこの病状が悪化し、その後、亡くなりました。弱っていく姿を見ながら、「ああ、俺もこうなるのかな」と頭をかすめました。でもそれ以上に、まわりが悲しむ姿を目の当たりにして、自分のことを伝えるのがとてもつらかった。自分ががんになったことよりも、親に伝えることのほうがつらかったです。

 結局、親には診断から2週間ほどたって、伝えることになりました。その後、入院前に自宅療養しているときでしたかね。「俺はがんに1秒も負けていないから」と親に言いました。とりあえず安心させないといけない、と思いました。

 入院するとき、僕、病院の服を着たくなくて。メンタルまで病人になってしまいそうで。「僕、ふざけた服を着ますよ!」ってチームメートに話していました。そしたら、入院する前にチームメートが、ヒョウ柄のアディダスの上下を買ってきてくれました。うれしかったですね。「これ、着られないですよ」と言いながら、着ていましたね。ナースさんに「病人じゃないね、その感じ」と言われていました。

入院中の世界陸上。「スイッチが入った」

 まず、腸の一部を切除する手術をし、その後、抗がん剤治療に入りました。副作用で、食べ物を受け付けないときもありました。そのときも、陸上の練習と比較していました。真夏に40キロ走とかをやると、内臓をやられて、ご飯を全然受け付けなくなることがあるんです。「あのときに比べるとまだましかな。食えるかな」と。これも「陸上脳」かもしれませんね。

 副作用で髪の毛が抜けましたが、抵抗はありませんでした。僕、頭の形がけっこういいんです。坊主もそんなに嫌いじゃなかった。中学生のとき、大ファンだった、バスケットボールのマイケル・ジョーダンの試合を米国まで見に行ったのですが、「やっぱ、スキンヘッドでしょ」と、スキンヘッドにしたぐらいだったので。

 競技復帰をあきらめることは、まったく考えていませんでした。「一線に戻るのは難しいかもしれない」と医師から言われたこともありましたが、「やってみないと分からない」と思っていました。

 不安になることはなかったけれども、一方で、どこか真っ暗闇のなかを走っている感覚がありました。復帰をめざして走っているつもりだけれども、走っていくべき方向はどっちなのだろう? と。どこがゴールなのかよく分からない、というか。

 ちょうどそのころ、入院中にモスクワで世界陸上が開催されていました。めざしていた大会でした。病室のベッドの上で寝転びながら、テレビ観戦していたときのことです。ジャマイカの400メートルランナーのウィリアムズミルズ選手が紹介されました。「この選手はがんから帰ってきました」と。「何?」となりました。乳がんから復帰したトップ選手がいることを、そのとき知りました。

 「ああ、前例があるんだ」と思いました。真っ暗闇の中、すごく遠くに光がさした。復活という道筋が見えた気がしました。「可能性、ゼロじゃないじゃん」と。競技復帰に向けて、気持ちにスイッチが入りました。

■マラソンで東京五輪を…

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