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 小渕、森政権で官房長官や自民党幹事長などを歴任した元衆院議員の野中広務(のなか・ひろむ)さんが26日、死去した。92歳だった。幅広い情報収集と鋭角的な発言で政敵に切りつける政治手法が「政界の狙撃手」と評された一方、平等や平和といった戦後民主主義の価値を重視する姿勢を貫いた。

 1951年に25歳で京都府園部町議に当選して以来、同町長、京都府議、府副知事を経て、83年衆院補選で初当選した。57歳と遅咲きの国政転身だったが、92年の竹下派分裂と翌年の自民党野党転落をきっかけに存在感を発揮。細川護熙首相の献金問題を追及した。

 自民党が政権復帰した村山政権で自治相兼国家公安委員長として初入閣。オウム真理教の一連の事件に対応した。小渕政権で官房長官となり、自自公連立政権の立役者となった。小渕恵三氏が病に倒れた際、後継に森喜朗氏を推した「5人組」の一人として批判を浴びたが、森政権では党幹事長に就任。関係が深かった加藤紘一氏が内閣不信任案に同調する動きを見せた「加藤の乱」では、鎮圧に回った。

 長年対立した小沢一郎氏率いる自由党との連立では「悪魔にひれ伏してでも」と言って関係改善に踏み切るなど、権力維持のためには手段を選ばぬ側面があった。2001年に首相となった小泉純一郎氏と激しく対立。03年の総裁選で小泉氏を支持した同僚議員を「毒まんじゅうを食った」と激しい言葉で批判した。この年に政界を引退。「毒まんじゅう」は流行語大賞に選ばれた。

 戦争体験に基づく「護憲派」「ハト派」的な言動でも知られ、その後もテレビ番組や講演などで精力的に発信。論客として存在感を失わなかった。