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 野中広務さんが亡くなった。権力の中枢にまで登り詰めながら、晩年は反戦と反差別を訴え、弱い人へのまなざしは温かかった。19歳の一兵士として終戦をむかえ、地方政治に長らく身をおいた原点があった。

 野中さんの弟で元京都府園部町長の野中一二三さん(86)は「いい兄貴だった。昔からどこででもはっきりと物を言う人。国のため一生懸命だった」と振り返った。地元・京都4区選出の田中英之・衆院議員(47)は「子どものようにかわいがってもらった。まだ信じたくない」。

 野中さんは自ら設立した京都府南丹市の福祉施設「京都太陽の園」にも足を運んでいた。施設で働く女性は「昨年5月ごろ、利用者と話したり、写真を撮ったりしていた。顔からにじみ出る優しそうな雰囲気が印象的だった」と話した。

 京都府園部町(現南丹市)で生まれた野中さんは1943年、大阪鉄道局に就職。45年に戦争で召集され、高知で終戦を迎えた。敗戦で自決を考えたほどの軍国青年だったという。後に著書で「戦前の私たちは知らないうちに教育され、戦争に突入した。私はこうした民族性に恐怖を感じる」と記した。

 戦後、地元の園部町に帰り、51年に町議に初当選。33歳で町長になった。府議を経て衆院選に初当選したのは83年。57歳だった。国会議員としては98年に官房長官になるなど権力の階段を上ったが、郵政民営化を掲げた小泉純一郎首相と対立して2003年、政界を引退した。

 自民党を一時離党したが、16年に復党した。だが「憲法9条を守る」との立場は貫き、それに関連する講演や取材なら積極的に引き受け、時の政権を厳しく批判もした。

 17年、朝日新聞のインタビューでは「最近の新聞の中には政府の都合の悪い報道はせず、かばうところも出てきた。安倍首相に意見する人が党内にも少ないんだ。一番まずかったのは集団的自衛権の行使を認める安保法制をつくり、戦争をできる国にしたこと。他国の人を傷つけ殺すことは、自分たちも殺されることになる」と語っていた。

 1995年の阪神・淡路大震災…

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