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7年半ぶりに鹿島に復帰

 右ひざ手術から2年半、試合出場は数えるほどしかない。復活を期すDF内田篤人(29)は1月、ドイツから7年半ぶりに古巣のJ1鹿島に復帰した。背中を押したのは、自身3度目となるワールドカップ(W杯)ロシア大会への衝動だ。長いリハビリ生活のなか、一度は消えかけた代表への思いが湧いている。

うちだ・あつと 1988年、静岡県生まれ。県立清水東高校から2006年にJ1鹿島入り。J1では07~09年の3連覇に貢献。10年夏にシャルケに移籍。10~11年シーズンの欧州チャンピオンズリーグでは日本選手で初めて準決勝に出場した。ドイツ1部では104試合で1得点。17年夏にドイツ2部ウニオン・ベルリンに移籍し、18年1月に鹿島に復帰した。

リハビリ生活、涙がほおを伝った

 いつも気張っていたドイツとは違う。久しぶりの古巣で、内田はよく笑う。「みんなと練習ができて、すごい幸せ」

 28日に打ち上げた宮崎キャンプ。知らない顔も多いチームを引っ張っていた。「1、2、3……」。体を温めるボール回しでは、1人で声を響かせた。「自然と。本当は若手が出すものなんですけどね」

 背番号2は変わらない。ドイツ1部の強豪シャルケに2010年夏に移籍してから、鹿島は誰にもこの番号を付けさせず、復帰を待ち続けてくれていた。感謝を込め、こう思う。「拾ってもらった」

 ここ数年は右ひざのけがに苦しみ、選手生命を脅かされていた。15年6月に骨化した靱帯(じんたい)を手術。治ると見込んでいた半年間が過ぎても、走ることすらできない。友人に「どうなの?」と状態を聞かれただけで、涙がほおを伝った。

 ピッチに戻るまで、618日を要した。だが、その16年12月の復帰戦を最後に、シャルケで出番を失った。昨夏に移ったドイツ2部でも、リーグ戦2試合の出場にとどまった。「区切りがついた。きっぱり」

 甘えた考えで古巣に戻ったわけではない。厳しい立場を自覚し、はい上がる覚悟はある。その先に見据えるものは、一つ。「鹿島で試合に出られれば、日本代表に入れるイメージがある。W杯まで、まだ時間がある」

■失ってみて気づいたこと…

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