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101年目のパナソニック 岐路に立つ:3

 1月中旬。京都府宇治市にある井上二三男(70)の自宅を、青いジャンパーをまとったパナソニックショップ、「マキノデンキ」の店員が訪れた。井上は笑顔でドアを開け客間に上げると、テレビやエアコンの調子を相談した。

 「なじみの電器屋さんやから、家のなかも見せられるし相談もできる」

 マキノデンキは1976年、京都市内にあった義父の電器店を手伝っていた牧野伸彦(71)が創業した。「ナショナルショップ」と呼ばれていた時代から、系列店としてパナソニック(当時は松下電器産業)製品を扱っている。

 近所に住む井上とも30年来の付き合いだ。牧野は「密接な関係を築くことで、得られる情報がたくさんある。商売にもつながる」と話す。家族構成や間取りを知っていれば、欲しい物も分かる。実際に井上の自宅の家電の多くは「パナソニック」だ。

 系列店が得た情報はかつて、メーカーに集められた。牧野も、苦情を聞けば、すぐにメーカーの営業社員に伝えた。苦情は新製品に生かされた。

 洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビの「三種の神器」が普及し始めた1950年代、主に家電を売るのは商店街や住宅街にある、「まちの電器店」だった。メーカーごとに系列店網が整備され、販売を競った。

 中でもナショナルショップは、ほかを圧倒した。松下幸之助が掲げた販売店との「共存共栄」に、共感する店主が多かったためだ。80年代前半のピーク時には、全国に2万7千店にのぼった。

 しかし、マイカーが普及し、買い物客は商店街から郊外の量販店に移っていった。家電も例外ではない。

 「おたくは嫌いだ。リベート(奨励金)が少ないからね」。00年ごろ家電流通担当だった松下電器の元役員は家電量販店を訪問した時、こう言われたのを覚えている。量販店はリベートを使って、系列店よりはるかに安い価格を設定し、消費者に支持されていった。90年代後半にはメーカーからの出荷額の約半分が、量販店向けになった。

 メーカーは、系列店を支えきれず、パナソニックショップも今は、1万5千店ほどに減った。

 買い物のスタイルは、さらに大…

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