拡大する写真・図版 父に抱かれる嶺川洸さん

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嶺川洸さん(1936年生まれ)【上】

 自分が被爆者だとは、思っていない。

 長崎市の嶺川洸(みねかわたけし)さん(81)は原爆が落とされた時、爆心地の約2・8キロ南東の自宅前で白い光と熱、そして風を感じた。数年後には弟が突然死。自身は高校に入学してすぐ体調を崩して中退。その後は血が出ると止まらなくなる病に悩まされ、難病の診断も受けた。今も病院通いの日々は続く。

 それでも被爆者だとは、名乗らない。

 それは新聞記者だった嶺川さんが、取材を通して出会ってきた被爆者らの姿が頭の中にあるからだ。ある人は全身にケロイドができ、ある人は背中を一面、やけどしていた。ある人は車いす生活を余儀なくされ、またある人は貧困と病と、闘っていた。嶺川さんにとっての被爆者とは、こうした過酷な体験をしてきた人たちのことだった。

 「平和案内人」として、平和公園周辺をボランティアでガイドしている。被爆者の体験を通じ、核兵器がいかに馬鹿らしい兵器かを知ってもらいたい。そう願う。

 米屋の次男坊だった嶺川さんの…

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