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 奈良を代表する伝統行事、東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)(お水取り)について、昭和初期に大阪朝日新聞(当時)の記者が撮影した写真約60点が見つかった。東大寺によれば、戦前・戦中の写真は寺にも残っていない。現在では見られない風景も写し取られ、関係者は貴重な資料と評価する。

 朝日新聞大阪本社で保管されていた写真を整理する中でみつかった。戦前・戦中のお水取りにかかわる写真は67点。最も古いのは1928(昭和3)年の撮影と見られる3点で、36(昭和11)年の46点が最も多かった。36年3月15日付の大阪朝日新聞には「写真ルポルタージュ 奈良のお水取り」が掲載され、5点の写真が紹介された。このルポの取材で3月1~14日の本行に記者が密着取材したとみられ、二月堂内外のさまざまな模様が記録された。

 写真を見た東大寺で最古参の狹川宗玄(さがわそうげん)長老(97)は、格子の向こうから10人ほどの女性がのぞき込む様子を撮影した36年の1枚に注目する。お水取りは男性による法会で、女性との接触を戒めており、女性は二月堂の最も外側の「局(つぼね)」という聴聞席から格子越しに参拝する。「練行衆(れんぎょうしゅう)(こもりの僧)」の行法にカメラを向けることはあっても、聴聞する女性たちを被写体とするのは珍しい。狹川さんは「まるで百面相。それも風格がありますね」と話す。

 同じ年に撮られた練行衆(れんぎょうしゅう)の昼食風景も目を引く。正式な食事は昼に1日1回だけ。大きなお椀(わん)にご飯が山盛りにされ、しゃもじが突き立てられていた。狹川さんは「お椀には付き添いの童子や仲間(ちゅうげん)の分も盛るんです。太平洋戦争の間は物資不足でご飯も減り、しゃもじが立たなかった。付き添いに分けるほどありませんでした」と振り返る。戦後、ご飯の量は増えたが、戦中の名残もあってか、昭和初めよりは少なくなったという。

 付き人として戦後53回参籠(…

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