広島への原爆投下の約3時間後に広島市内で撮影された写真に、セーラー服で写っていた同市の被爆者河内(こうち)光子さんが1月22日、副甲状腺腫瘍(しゅよう)で亡くなった。86歳だった。葬儀は近親者で済ませた。

 広島女子商業学校(現・広島翔洋高校)2年の13歳だった当時、学徒動員先の広島貯金支局(爆心地から約1・5キロ)で被爆。逃げる途中、御幸橋西詰めに設けられた救護所で、傷ついた大勢の市民と応急処置を受けた。その様子を中国新聞カメラマンだった松重美人(よしと)氏(2005年に92歳で死去)が撮影。米国の雑誌にも掲載され、核兵器の恐ろしさを記録した写真として知られるようになった。

 1973年、原爆の写真展に、この写真が展示されたことを機に名乗り出た。いとこからもらった別の女学校の制服を着ていたため、自分と気づいたという。以降、被爆証言活動を続けた。

 今月初旬、長男(61)が遺影…

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