作家・クリエーターのいとうせいこうさんの話

 石牟礼道子が描き出した水俣病患者たちの苦しみは、今も続いている。そして国と企業と被害者の構図は福島第一原発の事故でも繰り返されており、だからこそ事故後すぐに石牟礼を読み直す者が多かった。作品は文学としてもとびぬけた境地にある。熊本でもお話をうかがったが、チャーミングな巫女(みこ)のような方だった。

歌手・加藤登紀子さんの話

 ショックです。石牟礼さんが講演で「いのちは華やぐもの」とおっしゃったのを聞き、嗚咽(おえつ)しそうになった記憶があります。水俣病に苦しむ患者や家族そして地元漁師たちを決して惨めな存在とはとらえず、荘厳な光を放つ命、ありがたい命として絶大な敬意を払っていた。そのまなざしが世間に訴える力になったと感じます。「苦海浄土」の言葉の美しさと光に満ちた文章に、特別な人と感じてきました。

 2004年に発刊された石牟礼さんの全集の解説を執筆するにあたり、初めてご本人にお会いしました。2泊ほど水俣に滞在し、ゆっくり話す機会に恵まれたことは幸せでした。

作家・赤坂真理さんの話

 いつも「苦海浄土」のページを閉じたあと、光を感じていました。石牟礼さんからは「光を感じてくれたのはあなたぐらいよ」と言われました。重いテーマでもすらすら読ませるのは石牟礼さんの文学が浄瑠璃語りのようだからです。語りになると全然違う層が見えてくる文学でした。

石牟礼さんとの対談集「死を想(おも)う」を出した詩人の伊藤比呂美さんの話

 会うたびに海の話をしてくださいました。これだけの生き物が海のなかにいて、海藻の花が咲いて。山の水が落ちてきたところが一番豊かだから魚が集まる、と。ちいさな命が生きたり死んだりしている世界のさまを、自ら食べながらお感じになっておられるようでした。

 施設に入られてからも、会うと何かつくってくれました。つくる、食べる、生きる、死ぬる。そうした世界の循環が、彼女のなかでは最後まで続いていた。宮沢賢治の「このからだそらのみぢんにちらばれ」という言葉を引き、「私なら浜辺のみじんかな」と言っていたことがありました。これまでは熊本でしか会えなかったけど、今はどこにいても会えるようになったのだと思っています。

「ふたり 皇后美智子と石牟礼道子」の著作がある作家、高山文彦さんの話

 この日は覚悟していたが、もう少し後かなと思っていた。やるべきことをやり、書くべきことを書いて逝かれたと思う。今年初め、お見舞いで口紅を持って行ったら、えらく喜んで。寝たきりだったが、自分で口紅を引いて、血の気のない顔にバラ色がさしてね。眉墨と口紅を買いに行こうと言っていたのですが。彼女の書くものは病んだ患者の声、水俣の民の声だった。公害病がここまで社会のひとりひとりに伝わったのは、彼女なくしてはなかったと思う。