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みちのく白球譜 第71回全国選手権大会・2回戦 弘前工5―1石川

 太田幸司投手を擁する三沢が準優勝した1969年以降、青森県勢は19年間にわたって夏の甲子園で勝利がなかった。その間、甲子園に連続出場した高校もなかっただけに、青森大会を連覇した弘前工には「ジンクスを破った今年こそ、三沢以来の勝利を」と期待がかかった。

 それまでの19年間で甲子園に出場した県勢13校のうち、8校が完封負け。「貧打の青森」のイメージを払拭(ふっしょく)するため、降り積もる雪で練習が制限される冬にはスキーで体力をつけさせた。「なんとしても勝つぞ」。監督だった横浜寿雄は、選手に繰り返し言い聞かせた。

 初回、石川(沖縄)にいきなり先取点を許した。エース斎藤健一(3年)は緊張感から球が浮き、二回までに被安打5。しかし、横浜に焦りはなかった。「斎藤は走者を背負ってから踏ん張る投手だ」

 打線は二回まで無安打と沈黙していた。「1本出れば、流れは変わる」。選手は回ごとに円陣を組み、投手への対策を話し合った。前大会に続くベンチ入り選手は9人いたが、チーム初安打を決めたのは初めてベンチ入りした出町善一(3年)。この安打で勢いがついた。犠打で走者を得点圏に進めると、2連打で同点に追いついた。守っては、四回以降に斎藤健が尻上がりに調子を上げ、相手打線からゴロの山を築いた。

 同点の五回裏、試合が動いた。1死から四球で走者を出すと、4連打で一挙4得点。「ケッパレ」と書かれた横断幕を掲げたアルプス席が、総立ちになって沸いた。

 4点リードで九回を迎えた。チームの背中を押すように、アルプス席からは「ヤーヤー、ドー」という弘前ねぷた祭りのおはやしが響いていた。だが、横浜は気を緩めなかった。「約20年も勝てていない不安があった。甲子園は何があるかわからない」

 四球で出した走者を併殺で刺し、あと1死。斎藤健の投げた球は二塁手の頭上に打ち上がり、そのままグラブに吸い込まれた。球場に20年ぶりとなる県勢の校歌が流れた。「スタンドも一緒になり大声で校歌を歌ったときは、うれしかった」

 この10年間で県勢が初戦敗退したのはわずかに2回。横浜は「当時はパレードするほどの騒ぎだったが、今は違う。全国相手に、臆することはなくなった」と話した。=敬称略(板倉大地)

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