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(17日、平昌五輪フリースタイルスキー男子エアリアル予選)

 人生をかけた37歳の挑戦は、19位で幕を閉じた。17日夜の予選で落選。初出場の田原直哉(ミルキーウェイ)は、「もうちょっと良いところを見せたかった」と表情を曇らせた。

 披露した技は、伸身後方3回宙返り4回ひねり。上位12人による決勝進出を狙ったが、1本目は17位にとどまった。2本目は踏み切りでミス。着地で背中を雪面に打ちつけた。

 夢に見た五輪の舞台だった。8歳で始めた体操で、20歳の時にナショナルチーム入り。だが、2004年アテネ五輪の代表を逃した後から、人生は思わぬ方向に進んでいく。右肩を故障し、06年に引退。失意の中で出会ったのがエアリアルだった。スキー経験はほぼゼロにもかかわらず、「体操選手としての感覚が生きるかも」と、かなわなかった五輪の夢を雪上に見た。

 ただ、簡単にできると思った回転やひねりは「板とブーツで重心が変わるから、体操とは全く違った。なめていた」。10年バンクーバー五輪も、14年ソチ五輪も出場できなかった。

 冬のマイナー競技を取り巻く環境は極めて厳しい。遠征費や用具代のために、大学の卒業記念で買った宝物のオメガの腕時計も売り払った。生活費を切り詰め、家は友人所有の物件を無料で借りた。「貯金もありません。五輪に出たからといっても、それだけで今後どうやって食っていくのか。正直怖い」と漏らしたこともある。夢を追う代償は決して小さくなかった。

 それでも、あきらめなかった。「スポーツに人生をかけてきた。だから、やりきったってものが一つ欲しくて。五輪を目標に生きてきて、ゴールはちゃんと五輪でした。胸を張って、そう言いたいんです」

 ようやくたどりついた五輪は悔しさだけが募った。「やっぱり勝たないと。力が足りなかった」。41歳で迎える4年後への思いがないわけではない。ただ、重ねた苦労を思うと軽々しく口にできない。「環境だったりいろんなことがあるから、『次』とはすぐには言えない」

 スポーツに捧げた30年を振り返って、「あきらめずに本気でやり続けたら、何か形にはなるんだと思う」と言った。(吉永岳央)