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 69年前に金堂が炎上し、壁画が焼損した後、法隆寺と国は焼けた柱や壁を元通りの配置で、別の建物の中に保存することを決めた。忌まわしい記憶を封印するためではなく、歴史の証人として正しく扱うという姿勢の表れだった。

 1952(昭和27)年に建てられた収蔵庫は、総工費約3518万円の鉄筋コンクリート造り一部2階建て。建築家の入江雄太郎(1913~63)が設計した。

 入江は丹下健三と東京帝国大学の同期生で、法隆寺の北東にある法輪寺(奈良県斑鳩町)の収蔵庫や、平城宮跡(奈良市)の遺跡展示室も設計している。入江が創業した設計事務所は、のちに東京の六本木ヒルズも手がけることになる。

 保存活用委員会で建築資料を調べている立命館大学の青柳憲昌(あおやぎのりまさ)講師によると、収蔵庫の設計をめぐり、当時の法隆寺国宝保存委員会には二つの案が示された。ひとつは切り妻風の瓦屋根の両端に鴟尾(しび)がのる和風の収蔵庫案、もうひとつは四角い部屋を並べたようなモダンな洋風の収蔵庫案だ。

 しかし、保存委員会は「よりつつましい外観」の案を求めた。火災に遭った文化財(焼損壁画)を収めるという事情を考慮したためで、その結果、勾配の緩い寄せ棟風の屋根を持った現在の建物に落ち着いた。

 しかし、正面玄関前には団体見学者の待ち合わせにも使えるエントランスゾーンがあり、上から焼損壁画の収蔵室を見下ろせるテラスも設けていた。青柳さんは「法隆寺昭和大修理の記念碑として、焼損壁画の公開施設にもしたかったのだろう」とみる。名前は収蔵庫だが、博物館の機能も持つ異例の建築だ。

 火災を起こさないための工夫もあちこちに施されていた。火が出たら、建物の外側を水の幕で覆うという特殊な防火装置が屋根に巡らされた。建物の中には火災が起きても炭酸ガス(二酸化炭素)を充満させて消す消火装置も配備した。

 この消火装置を有効に作動させようと、ガスが庫外へ漏れないように気密性を高める設計が施されていた。庫内が外気の影響を受けにくくなり、温湿度が極端に変化しない、結果的に文化財保存にとって有効な環境となった。

 青柳さんは「収蔵庫を初めて見た印象は、とてもシンプルな建物だった。しかし、緩やかな勾配の屋根や、小さな窓を連続して配置するデザインなど、建築としても価値の高いものだと思う」と話す。

 現在の保存活用委員会は今後、収蔵庫自体の耐震性なども調査した上で、壁画保存の方向性を探ることにしている。

保存活用委員会の調査状況

 法隆寺金堂壁画保存活用委員会は、分野別のワーキング・グループ(WG)が調査を進めている。

◆保存環境WG 焼損壁画がある収蔵庫に温湿度計測器を設置し、年間変化を調べてきた。相対湿度は年60~70%で安定しているが、夏には高くなる傾向があった。一方、温度は年間を通して外気と約2度の差が見られた。カビは少なく、清潔な環境といえる結果だった。

◆壁画WG 焼損を免れた「飛天」壁画については、高精細写真を撮影した上で表面の保存状態を確認。ほこりがうっすらと積もっていたため、専門技術者が筆で汚れを拭うクリーニング作業を実施した。

◆建築部材WG 焼損壁画とともに保管する金堂や五重塔の古材を調査する。収蔵庫中央の焼損壁画や柱は、壁とワイヤでつながれており、耐震性の検討も課題だ。

◆アーカイブWG 法隆寺国宝保存工事事務所長だった故竹島卓一さんが撮影し、焼損後の作業状況を記録していた約6時間分の映像を確認した。また、修理記録や図面などの撮影も進める中で、保存に使われた材料や薬剤などを特定し、今後の保存や修理に役立てる方針だ。