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 平昌(ピョンチャン)パラリンピックが9日に開幕します。先立って行われたオリンピックからは、このコラムでキーワードとしてきた「日本ヂカラ」を発揮するためのヒントをたくさんもらいました。

 特に、すばらしかったのは、フィギュアスケートの羽生結弦とスピードスケートの小平奈緒でした。2人を見ていて改めて気づいたのは、団体追い抜きやマススタートのような新しい種目は別として、長く伝統的に行われてきた種目については、もはや感覚のみで世界のナンバーワンをとるのは難しい、ということです。

 2人とも自分の体やメンタルのメカニズムをわかっていました。もともと研究熱心な羽生は人間工学、力学、運動生理学などを学び、けがをしていた時期は特に、その座学に時間を費やしていたようです。つまり演技している時の身体の動き、滑りのフォームがどのように構築されているかという論理を、自分自身が理解して滑っていたのです。

 と同時に、そうした知識を十分に発揮するためには、精神面の支えが不可欠だということも改めて認識しました。ショートプログラムが終わった時、羽生は「自分はオリンピックを知っている」と話していました。演技が始まる前に拍手が鳴りやまない、演技の最中に誰かが叫ぶなど、普段の国際大会であれば起こらないようなイレギュラーなことが、オリンピックでは発生することがあります。そのイレギュラーなことへの対応について、「経験が役立っている」ということを口にしています。オリンピックのようなハイレベルな戦いは、自分のことだけを完璧に成し遂げればいいという状況でありません。最高級の技術を身につけたうえで、さらに何が起こっても対応できるような精神状態をつくる。技術を発揮するためのメンタルがしっかり構築されていたことが大きいでしょう。

 小平も、1000メートルは銀メダルに終わり、500メートルは絶対に金メダルをとりたいという状況でした。ともすれば、一発勝負で力みが出てもおかしくない中、結果は1人だけ36秒台というほぼ完璧な滑りだったのです。スタート時、ピストルが鳴るのがやや遅く、上半身がほんの少し動いたにもかかわらず、慌てず下半身を動かさず、焦りという精神をコントロールしていました。一本歯げたを履くことで安定した重心の姿勢を保てるようにするなどといった日本ならではの創意工夫で、日本ヂカラを磨いてきた自信が確立されていたから、とも言えるかもしれません。

 最終的には李相花との戦いでしたが、自分が最高のパフォーマンスを出し、それで他の選手に上回られたのであれば仕方ないという、あくまでも自分にフォーカスした滑りでした。他の選手を打倒するのではなく、あくまでもタイムを削るという同じ方向をみて、0・01秒でも前に出るというイメージでレースをしていたように見受けられました。

 羽生も小平も、まず自分を磨くという潔さを持っていて、凜(りん)としたたたずまいと自信が感じられました。焦ることなく、力むことなく、自信と誇りに満ちた演技そして走り。そこから他のスポーツが学べることがたくさんあります。パラリンピアンたちにも、こうした日本ヂカラに期待したいです。

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 なかにし・てつお 1969年生まれ、名古屋市出身。同志社大から92年、Jリーグ名古屋に入団。97年に当時JFLの川崎へ移籍、主将として99年のJ1昇格の原動力に。2000年に引退後、スポーツジャーナリストとして活躍。07年から15年まで日本サッカー協会特任理事を務め、現在は日本サッカー協会参与。このコラムでは、サッカーを中心とする様々なスポーツを取り上げ、「日本の力」を探っていきます。