【動画】日本と中国・深センでの新製品開発の速さや経費の違いを説明する藤岡淳一さん=戸田拓撮影
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 「世界の工場」中国広東省の深圳(シンセン)に25歳で渡り、16年にわたってビジネスの経験を積んできた経営者が体験記を出版。東京・下北沢の書店「本屋B&B」で2月に出版記念イベントが開かれた。急速に発展し変容した深圳の歴史を、会社乗っ取りなどの苦難を越えてきた自らの経験と重ね、日本の製造業が学ぶべき教訓をつづった。

 「『ハードウェアのシリコンバレー深圳』に学ぶ――これからの製造のトレンドとエコシステム」(インプレスR&D)を執筆したのは藤岡淳一さん(41)。安価なDVDレコーダーなど便利なデジタル家電の数々を世に送り出したエグゼモードの創業社長を経て、現在は電子機器の受託製造を行うジェネシスホールディングスの社長を務める。

 イベントを企画したのは、深圳を拠点にメイカームーブメント(3Dプリンターなどの新しい技術を活用して個人で様々なものを自作する活動)を支援している高須正和さん。政府の途上国援助に携わるシンクタンク研究員で翻訳家の山形浩生さん、中国が専門のジャーナリストの高口康太さんも参加し、深圳の魅力を語った。

波乱曲折のビジネス戦記

 藤岡さんは2001年、日本の大企業から外資系ベンチャーに転職して深圳に渡り、格安カメラなどデジタルガジェットの開発製造に従事。突然の社長失踪による倒産、開発した製品を他社にコピーされるなど様々な苦労を経て、2011年にジェネシス社を創業した。

 工作精度の問題や労働慣行の違い、さらには社内クーデターの勃発に悩まされながらも日本の流通大手から格安スマホの万単位の受注に成功するなど、異国で業績を積み上げた。著書には、その過程が生き生きと描かれ、まるでビジネス小説を読んでいるようだ。

 深圳の強みについて藤岡さんは「電子製品を作る様々な工程が、移動1時間範囲に密集していること」と話す。イベントでは、具体的に日本と深圳で同じ製品を開発した場合をシミュレーションした資料(著書にも収録)を披露。「日本国内で製造ラインを動かすには大量のロットが必要だが、深圳では『1千個でも作る』という工場も多い。部品調達にかかる時間は国内なら半年~1年のところ、3カ月でかき集められる。製品自体の特徴よりサービスやアプリで勝負をする最近のITベンチャーには、深圳のサプライチェーンが向いている」という。

今「イケてる」理由

 農村地帯だった深圳は鄧(トウ)小平時代の1980年、中国初の経済特区に指定。香港に近い地の利を生かして製造業の集積が急速に進み、30年余で1500万都市へと成長した。若い研究・開発者らも集って技術革新を競い、世界の電子機器産業をリードする地域となった。

 1988年ごろに深圳を訪れた経験のある山形さんは「香港から境界を越えた瞬間、土ぼこり漂う荒野が広がっていた」と振り返る。「香港のコバンザメ都市としてコピー商品の製造などを請け負っていたが、2000年代に携帯電話市場が伸びてきた頃から電子機器を安く早く作る環境が整った。中央政府主導の産業振興はうまくいかなかったが、統制を受けない民間業者たちがイノベーションを起こした」

 高口さんは「数年前には中国崩壊論や『毒食品』を笑うことが流行した。だが、ファーウェイ(通信機器の華為技術)、アリババ(ネット通販の阿里巴巴)など深圳を拠点とする世界的な企業が台頭、江戸時代以来三百年ぶりぐらいに『中国イケてる』ブームが来ている」と見る。「景気が過熱して国全体に勢いがある。たとえばレンタル自転車市場を占有するため、月数百億円の赤字を気にせず資金を投入するような『焼銭』競争が過熱。1980年代生まれの改革開放第一世代『バーリンホウ(80后)』が、起業家となって消費を先導している」と話す。

 高須さんは2014年以来、深圳に興味を持つ日本の開発者らを募り、現地の企業などを訪問し紹介する「ニコニコ技術部深圳観察会」を個人で企画。今月行われる第8回観察会ではジェネシスの工場見学なども予定されている。3月19日には、深圳・白石州美食街で日本と中国のDIY開発者らによる交流会「ミートアップ」も開催される予定だ。(戸田拓)