人気ポップバンド「DREAMS COME TRUE(ドリームズ カム トゥルー)」のベース・中村正人さん(59)は、1970年の大阪万博に熱狂した一人です。当時は小学6年生。19日から48年ぶりに内部が一般公開された太陽の塔への思いを聞きました。

自転車で万博へ「寝ても覚めても…」

 「これ、70年の大阪万博の絵はがきです。万博は夢の世界。住友童話館がすごく好きだったな。アメリカ館、ソ連館……何時間も並んで月の石も見ましたね。あとはやっぱり太陽の塔と大屋根(太陽の塔の腕の高さにあった巨大な屋根)ですよ。すごかったですね」

 ――何回、行きましたか

 「20回ぐらいは行きました。大阪府寝屋川市に住んでいたので、親戚が全国から来ますからね。親戚に付き合うことも多かったし、友達と自転車で行って、外周を回って帰ったことも5回ぐらいあった。学校の遠足ももちろん万博だったし。万博で頭の中いっぱいでしたね。寝ても覚めても万博でした」

 ――万博の何がそんなに魅力だったのでしょう

 「実際に目に見える未来、でしょうね。経済発展も著しかったし。万博前後は開発が進んで、未来に向かってこれからどんどん進んでいくんだっていう感覚があった。一方で学生運動も頂点で、それが並行して走っていたのが面白かった。経済発展と破壊が共存している時代でした」

大阪万博と太陽の塔
正式名称は日本万国博覧会。1970年3月から半年間、大阪府吹田市で開かれた日本で最初の万国博覧会。会場跡地の万博記念公園にある太陽の塔には、頂上の「黄金の顔」、胴体中央の「太陽の顔」、その背面の「黒い太陽」の三つの顔があり、それぞれ未来、現在、過去を象徴している。

【VR動画】生命の樹360度

太陽の塔の内部公開が48年ぶりに始まった。解説は内部展示プロダクトディレクターの並川恵一さん

内部見学は1回だけ「原色に圧倒された」

 ――当時、太陽の塔の内部は見ましたか

 「1回だけ入りました。生命の樹(き)についている恐竜やアンモナイトの造形物が衝撃的でした。それまで3Dでそんな造形物を見たことがなかったし、テレビのカラー放送が始まって間もない白黒の時代に原色系の色が鮮烈で、圧倒されました」

 ――太陽の塔は万博の中でも異質の存在でした

 「パビリオンの形はどれも「丸」なら「丸」で、曲線も未来的な曲線。その中で太陽の塔はとてつもなくいびつで、手作り感がすごい。何もかもがシンメトリー(対称)じゃなく、表に出ている顔三つも共通点が見当たらない。未来を楽しみにしている子どもにとっては、未来を表す黄金の顔はすごい冷たいし」

 「丹下健三設計の大屋根をぶち抜いて太陽の塔を立てた、その心意気。これを許した日本万国博覧会協会の心の広さ。やっぱりアバンギャルド(前衛)ですよ」

 ――万博は半年間で閉幕しました

 「名残惜しくて、解体途中にも自転車で行ったんです。もちろん中に入れないので、外周道路を自転車で回りながらパビリオンの写真を撮った。オーストラリア館、イギリス館。いやー、もう寂しかった。壊すのが本当に信じられなくて」

大阪LOVERの頃も「万博ロス」

 ――「大阪LOVER」の歌詞には「万博公園の太陽の塔 ひさびさ見たいなぁ!」とあります

 「どっちかというと、僕は見たくなかった。万博が全てなくなってしまったことを認識したくなかった。太陽の塔が芝生の中に立ってるなんてあり得ない。悔しいじゃないですか、あんなにすごかったものをみんな知らないんですよ。万博はこんなもんじゃない、太陽の塔はもっとすごいんだって。万博ロスが何十年も続いたんです。小6から大阪LOVERの頃もなお」

 ――太陽の塔の内部の改修前に、中に入られたんですね

 「思ったほど壊れていないなと思いました。もっと朽ち果てているのかと思ったけど、タイムカプセルの缶のふたを開けたみたいな感じですね。当時の仕事の良さ、クオリティーを感じました」

 「万博はいまだに追いつかない未来です。『2001年宇宙の旅』の2001年が過ぎたときのあの失望感はなかった。ここに向かって走るんだって言ってもらったのに、走っても走っても追いつかない。その衰退した未来が太陽の塔に見えちゃうんですよ。廃虚にぽつんと残った。太陽の塔は48年の間に創造と滅亡を教えている」

記念ライブ「万博愛あるからこそ」

 ――今回の内部公開に合わせて、太陽の塔の前で無料の記念ライブを引き受けました

 「大阪で小学校の6年間を過ごした思い出と、やっぱり万博のモチベーションですよ」

 ――万博愛があるからこそライブをしたいと

 「好きだった人と一緒ですよ。二度と会いたくない、あなたはそんな人じゃない、あの頃のあなたじゃない、忘れたかった、でもまた会っちゃった。昔の、最愛の恋人ですよ、今の感情は。ああ、すっかり変わってしまったけれど、太陽の塔は生き返ろうとしているわけですよ。やばいですね」

 ――でも当時の面影はある

 「君は変わってなかった(笑)。それこそ縄文土器のように、千年、2千年持たせるものとしてメンテナンスをして、我々がまた解釈して。ちょっとずつ万博を再現してくれたらうれしい。できたら大屋根も復活して、そこでイベントができたらいいですね」(聞き手・太田成美)