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 小倉城(北九州市小倉北区)の堀の水を抜き、天守台の調査をしていた北九州市と市芸術文化振興財団は16日、報道陣向けの説明会を開いた。水を抜いた堀の底から薬莢(やっきょう)やウナギ、自転車まで出てきたが、新たに約180年前に焼け落ちた天守閣の瓦とみられるものなどが見つかった。

 調査は、自然石を巧みに積み上げる野面積(のづらづみ)みと呼ばれる手法などで積まれた天守台の石垣を3Dレーザーで測量したり、基底部を調べたりする。石垣の構造を解明し、熊本城のように被災して崩れた場合の復旧に生かす狙いがある。

 手掘りで8メートル四方の堀底を2メートル以上掘り下げた。その結果、かけらも含めると千点以上の瓦と、焼けた部材50点などが出てきた。財団の佐藤浩司埋蔵文化財調査室長は「1837年に焼け落ちた天守閣の瓦や部材とみていい」と話す。

 小倉城は細川忠興が1602年から築城を始め、7年余りで完成。上の階が下の階より大きい「唐造り」と呼ばれる天守閣があったが、1837年に失火で焼失したという。ほかの城郭も1866年の第2次幕長戦争(長州征伐)の際、ゲリラ戦に移る前に小倉藩が自ら焼き払ったとされる。

 失火で焼け落ちた天守閣の瓦は、すぐに水に落ちたためか激しい焼損はない。藩主の小笠原家の三階菱(さんかいびし)や前藩主の細川家の九曜(くよう)、豊臣家に関係のある桐といった家紋が見える瓦のほか、戦国時代と推定されるものもあった。

 佐藤室長は「天守閣が焼け落ちたという文献の記録と、考古学の成果が一致した」と話す。

 調査結果は、17日午前11時から市民向けの現地説明会で伝える。申し込みは不要。今月下旬には堀に水を入れるため、堀底を見る機会は今後しばらくないという。(井石栄司)