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 いまも2年前の興奮と熱が冷めていない。

 98回大会で作新学院が54年ぶり2度目の全国制覇を遂げた。監督・小針崇宏(こばり・たかひろ)のもと、エース今井達也=西武=ら県内出身者を束ねた優勝に、県高野連事務局長の阿部司は「作新にできるなら、自分たちにもできるという空気が広がった。作新の優勝が他校に勇気を与えている」と話す。

 栃木の野球界は、小中学校年代では軟式、硬式とも盛んだが、プロ球団はもちろん、強豪といえる企業チームはないに等しく、大学も強豪は数えるほどだ。硬式野球に親しんだ中学生のかつては約30%、現在でも約15%が県外の強豪校へと流出している。

 栃木大会で7連覇中の作新学院を含め、どこも県内出身者でチームを組む。阿部は「地産地消とでもいうのか。地元に残ってくれた中学生の、しかも県内で2、3番手の子たちが甲子園で結果を出した。作新がひとつのモデルになった」と、その効果を語る。

 ここ30年を振り返ると、10年ほど前までは公立校も含めた戦国時代が続いていた。一方で、全国大会では1997年の佐野日大のベスト8が目立つ程度で、あとは1、2回戦止まりがほとんどだった。「どこも甲子園出場で満足していた。どうやったら全国で勝てるかまで考えていなかった」というのが阿部の分析だ。

 もっとも、この間もプロで活躍する選手は輩出していた。

 80年代後半に投げ合った宇都宮南の高村祐=ソフトバンクコーチ=と作新学院の落合英二=元ロッテコーチ=、この1学年下には足利工の石井忠徳(琢朗)=ヤクルトコーチ=、宇都宮学園(現在の文星芸大付)の真中満=前ヤクルト監督=と高嶋徹=元近鉄=、さらにその1学年下に佐野日大の麦倉洋一=元阪神=がいた。麦倉は昨年から監督で母校に戻った。

 高校卒業後、大学や社会人で力をつけた選手には、国学院栃木の渡辺俊介=元ロッテ=、佐野日大の沢村拓一=巨人=らもいる。

 戦国時代に終止符を打った作新学院は、OBで若き監督の小針の存在が大きい。

 小針は06年に23歳で監督に就くと、09年に31年ぶりに夏の甲子園に出場。それまでの投手力を中心に守り勝つ栃木の高校野球に打撃力を持ち込み、練習の効率化を進めた。小針を母校に呼んだ作新学院部長の岩嶋敬一は「単純な反復練習を見直し、新しい感覚で指導を毎年変化させ続けている」という。

 作新学院を基準に他校が追いかける形で、打力に目を向けたチーム強化が各校で急速に進んでいる。

 県内全体の底上げには、地道な改革も影響している。10年に新設された1年生大会は毎年10~11月に開催。1年生だけによるチームづくりの経験が、選抜大会出場のかかる1年後の秋の大会につながる。1年生に出場機会を与えることが部員確保にも一定の効果を見せている。

 また、県高野連が主体となり、小学生からの指導者交流も進めている。

 これらの取り組みは、地元の子どもを自前で育てて全国に挑む、という県内の一体感が後押ししている。

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