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 甲子園への道のりは今より長かった。新居浜商はこの年で最後となった北四国大会を勝ち抜いての出場。開会式で見渡すと、他のチームは自分たちより一回り以上も体が大きい。エースの村上博昭(60)は当時を思い出し、「面をくらった。ただ、練習量には自信がありました」と目を細めた。

 当時は本州へつながる橋がなく、初戦には愛媛県川之江市(現四国中央市)から応援団が船で駆けつけ、アルプススタンドで新居浜太鼓が大きく鳴り響く。村上はこの音に励まされた。「注意されて次戦からブラスバンドのドラムになりましたけど」と笑う。

 「冬場の練習はまさに地獄」。普段は毎日300メートル走を100回。2週間の合宿では12時間以上のサーキットトレーニング。のちに法政大野球部を率いた監督の鴨田勝雄のもとで培ったスタミナをいかし、村上は準決勝までの全4試合に登板してわずか6失点。下馬評を覆して決勝へ進んだ。

 相手はエース小川淳司(現東京ヤクルトスワローズ監督)を擁する強豪・習志野。大会中に台風が2回やってきて、決勝前を含む計5日間が延期に。「恵みの雨だった」。連投の村上を天候が味方した。そう思われた――。

 だが、雨上がりの真夏のグラウンドは、蒸し風呂のようだった。4―4の同点で迎えた九回裏2死一、三塁。勝つためには延長戦に入るしかない。「ただ、延長になれば負ける」。決勝でも先発して粘投を続けていた村上は、自身のスタミナが減っていくのを感じ、そんなジレンマを抱いた。

 1ストライクの後、捕手の続木敏之(元阪神タイガース)がサインでボール球を要求してきた。しかし、投じた140球目は外角に甘く入った。はじき返された球を追おうと、投球モーションの勢いのままに、後ろに振り向いた。

 後日、大会の特集番組をテレビで見ると、九回裏のその場面が取り上げられていた。打たれた瞬間のスロー映像を見るとボールは右翼方向へ。守っていた竹場和範が前へ突っ込む。必死の形相で手を伸ばすも、手前で弾んで左肩に当たった。「ほんの少し届かなかった。みんなサインを見てボール球を投げると思っていたから」。守備陣の表情は一様に驚いていた。

 ボールが落ちると同時に、村上はマウンドに崩れ落ちた。三塁走者が生還してサヨナラ。うずくまる村上の脇を習志野の選手が拳を上げて走っていった。「勝負して打たれたなら悔いはない。勝負にいかず打たれたから後悔が残った」

 試合後にベンチでうつむく選手を監督の鴨田がねぎらった。「精いっぱいやったんや。胸張って帰るぞ」。村上が顔を上げると、監督のほおに涙がつたっていた。それを見て涙があふれた。「泣いた姿を見たのは最初で最後です」

 「小柄な選手でもやればできた。日本一たくさん練習をしたんだという自信で戦えた。その自信を大切にしてほしいですね」と今の球児に言葉を送った。=敬称略(藤井宏太)

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