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 人形浄瑠璃文楽で江戸時代から続く人形遣いの名跡、吉田玉助が53年ぶりに復活した。五代目となった新玉助は「立派な体格を生かして、スケールの大きな立ち役(男役)に」という周囲の期待を背負い、上演中の襲名披露公演で気合の入った舞台を見せている。

祖父や父と同じ道に

 風格のある豪快な立ち役として知られた三代目玉助の孫として、1966年に生まれた。文楽は世襲制ではないが、14歳で父の玉幸(五代目襲名時に四代目玉助を追贈)に入門し、翌年に初舞台。祖父や父と同じ立ち役の道を歩んできた。

 人形遣いの修行は「足10年、左10年」と言われる。180センチ近い長身はいまでこそ武器だが、「(身をかがめて遣う)脚遣いの間は邪魔だった」。まわりから「もうちょい脚短うならんか」「米を縦じゃなく横に食え」と、無理難題を言われることもあったという。

 襲名披露公演では、三代目が襲名した時と同じ演目「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」勘助住家の段で、後に武田の軍師山本勘助となる横蔵を遣う。長い手足を生かし、重さ7~8キロもある大きな人形をダイナミックに見せる。

顔が上がらぬアクシデントも

 初日はアクシデントに見舞われた。「首(かしら)の生命線」とも言われる引栓(ひきせん)を引く糸が途中で切れ、人形の顔が上がらなくなったのだ。「自分を落ち着かせるのに精いっぱいだった」と肝を冷やしたが、舞台上で前の場面の首につけ替えるという離れ業をやってのけた。

 公演は国立文楽劇場で30日まで続く。「初日より明日という気持ちで、千秋楽に向かってスケールアップしていきたい」と意気込みながら、「この時代に五代目玉助がいたと言ってもらえるよう、玉助の名を大きくしていきたい」と、さらに先を見据えている。(岡田慶子)