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 記憶に残る映画は少なくないが、記憶の中で育ち続ける映画はそう多くない。「アマデウス」(1984年)はそんな映画のひとつだった。

 今月半ばに86歳で亡くなった「アマデウス」の監督、ミロス・フォアマンのネット上の訃報(ふほう)記事に、多彩なコメントが寄せられ続けている。「大人になり、ようやくサリエリの葛藤が理解できるようになった」「サリエリが好きだったあのお菓子が食べたい」など、ディテールも鮮やかだ。語りたくなるシーンも、人によって全く異なるらしい。

 なぜか。作品のおおもとになったピーター・シェーファーの戯曲は、天衣無縫の天才(モーツァルト)と出会ってしまった秀才(サリエリ)、つまり「個人」の葛藤を克明に暴き出すものだった。それゆえ、誰の胸にもサリエリの悲哀が等しく印象づけられた。しかし映画では、特定の人物に共感を集めてゆく手法をとらず、揺れ動く2人の「関係」にもっぱら焦点を当て続けた。だからこそ、観客は作品に自身の人生や思いを自由に重ね、自分だけの感動をはぐくむことができた。

 2015年11月、選曲と演奏を担当した世界的指揮者のネビル・マリナーに、インタビューの合間に「アマデウス」制作の経緯を尋ねたら、いたずらっ子のような声色で昔語りを始めた。

 「この仕事が決まって最初にや…

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