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 名護屋城(唐津市鎮西町名護屋)は、天下統一を果たした豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、築かせた城だ。加藤清正らに命じ、九州の諸大名を動員して5カ月の突貫で完成させた。420年以上前のことだ。

 当時としては大坂城に次ぐ規模だった。建物は現存せず、幾重にも積み上げられた石垣や井戸などがその名残をとどめている。

 城の構えは中央の一番高い所にある本丸を中心に取り囲むように二ノ丸、三ノ丸、遊撃丸、台所丸などを配置。本丸に鎮座する名護屋城址(じょうし)の石碑は、日露戦争で日本海海戦を指揮した東郷平八郎の揮毫(きごう)だ。

 文禄・慶長の役と、出兵は2度にわたったが、慶長3(1598)年に秀吉の病死を受け撤退した。城跡の隣にある県立名護屋城博物館は開館25周年。書状などの史料やその後の朝鮮半島との交流に関する歴史が常設展示されている。(上山崎雅泰)