人形浄瑠璃文楽の人間国宝で文化勲章受章者の七世竹本住太夫(たけもと・すみたゆう、本名岸本欣一〈きしもと・きんいち〉)さんが28日、肺炎で死去した。93歳だった。鍛え抜いた芸で味わい深い情の世界を語り続け、人形芝居の語り手である太夫として頂点を極めた。

 通夜は30日午後6時、葬儀は5月1日午後0時30分から大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115の市立やすらぎ天空館で。喪主は妻光子さん。

 戦前の大阪・北新地で生まれ、近松門左衛門の「曽根崎心中」の舞台となったお初天神で遊び育った。大阪専門学校(現・近畿大)に進学したが繰り上げ卒業して出征。復員間もない1946年、二世豊竹古靱(こうつぼ)太夫(後の豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう))に入門し、豊竹古住太夫を名乗った。60年に九世竹本文字太夫を襲名。81年に太夫最高位の「切場語り」となった。85年、七世住太夫を襲名した。

 「沼津」(伊賀越(いがごえ)道中(どうちゅう)双六(すごろく))や「堀川」(近頃河原の達引(たてひき))など、人の思いやりやしみじみとした情がにじみでる演目を得意とした。他にも「野崎村」(新版(しんぱん)歌祭文(うたざいもん))など代表作は多い。

 89年に人間国宝の認定を受け、02年日本芸術院会員、05年文化功労者。07年度に朝日賞を受賞。08年にはフランス政府から芸術文化勲章コマンドールを贈られた。14年には文化勲章を受章した。

 12年に橋下徹・前大阪市長が文楽への補助金削減を打ち出した際は、積極的に文楽の存在意義や魅力を愚直に訴え続けた。しかし、そのさなかの同年7月に脳梗塞(こうそく)で倒れ、「今までやれていたことがやれなくなった」と、14年5月の東京公演を最後に現役を引退した。

 現役時代は講演活動や後進の育成など文楽の普及、発展にも取り組み、人形遣いの初代吉田玉男さんらとともに一座の牽引(けんいん)役を務めた。長年の厳しい稽古で鍛えた声と精妙な息で、登場人物の心情を分かりやすく語った。

 休演知らずだったが02年に病気で療養。復帰後の03年には、文楽がユネスコの無形文化遺産に認定され、再び精力的に舞台をつとめていた。

 引退後もリハビリと弟子の稽古を続け、竹本文字久太夫や竹本小住太夫らを育てた。著書に「言うて暮しているうちに」「人間、やっぱり情でんなぁ」など。