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 「走攻守」3拍子がそろった坂口裕之さん(52)が「宮崎ベストナイン」の外野手の一人に名を連ねた。バルセロナ五輪(1992年)の銅メダル獲得、日本石油監督など第一線で活躍。野球人生の糧となったのは甲子園で解説者からもらったある言葉だった。

 「高校3年間で、あそこまで対応できなかったのはあの試合だけだった」

 83年夏の甲子園。坂口さんのいた高鍋は1回戦で旭川竜谷(北北海道)を破り、続く2回戦で水野雄仁投手(元巨人)を擁する池田(徳島)と対戦した。坂口さんは3番右翼手として出場した。

 第1打席。直球のタイミングでバットを振ったにもかかわらず、変化球を捉え、一塁線へのファウルになった。「直球がきたら差し込まれる」。案の定、次の直球に三振した。結局、安打は打てず、チームも0―12で大敗した。

 褒めるところなんてない――。そんな試合でも解説者の言葉は温かかった。「この試合でノーヒットだった私に、『将来が楽しみだ』と言ってくれた。ずっと残っていますよ」。その後につながる一言だった。

 成長を求めて明治大へ進学。六大学野球では外野手としてベストナインに輝いた。卒業後の88年からは日本石油でプレー。バルセロナ五輪では全試合に中堅手として出場し、華麗な守備と3割近い打率で銅メダル獲得に貢献した。

 2006年からはNHKで甲子園のテレビ解説を担当している。解説者として心がけていることがある。両チームのベンチ入りメンバー36人全員について一言でも触れる。そのために、事前に監督、部長、県高野連関係者から可能な限り情報を集めるという。

 「バットを振ったことに対して、『この勇気はすごいですね』と。彼らがすごい野球選手になるかもしれないし、違う道に進んでも彼らの将来がぐーんと上がるかもしれない。そう思うと、その手伝いになるような言葉をかけてあげたい」

 のちにスターになる選手たちの活躍も間近で見てきた。駒大苫小牧(南北海道)の田中将大投手(ヤンキース)は走者を背負ってからの人並み外れた制球力を、花巻東(岩手)の大谷翔平選手(エンゼルス)は一塁から二塁への走塁で運動能力の高さを感じたという。「これだけ野球をやっても甲子園で見る高校生ってすごいなと思う。あの観客の中で、あれだけ活躍して。毎年感動するんです」

 現在は宮崎県高野連のアドバイザーも務める。

 「宮崎で育ててもらいました。大学、五輪でも、高校で学んだことに味付けをするだけで通用したんです。だから、解説者としてもそうですが、今は恩返しです」

 今年の夏もスタンドから球児たちへの言葉を紡ぐ。(松本真弥)

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