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 江戸時代に全国の沿岸を歩いて、初めて実測による日本地図をつくった伊能忠敬(いのうただたか、1745~1818)。今年は没後200年の節目の年を迎え、17年間も全国を歩き続けた忠敬の実績が再び注目されています。忠敬が手がけた日本地図は現代の地図と重ね合わせてもズレは少なく、その正確さから幕府は禁制品として輸出を禁じていたとされます。ところが、その地図が知識層の間に広まっていた可能性が浮上しています。

 忠敬は下総佐原(しもうささわら、現千葉県香取市)の商人でしたが、隠居後の50歳で江戸に出て、天文学や暦学などを学びました。55歳から17年間、10次にわたって全国の沿岸部と主な街道を歩いたのです。死後3年たった1821年、弟子たちが「大日本沿海輿地(よち)全図」(伊能図)と呼ばれる実測図を完成させました。

 1828年、オランダ商館のドイツ人医師、シーボルトが伊能図を持ち帰ろうとしたため、地図を渡した役人が捕らえられ、獄死する「シーボルト事件」が起こりました。鎖国中の日本にとって海岸線が精巧に描かれた伊能図は国防上も重要で、幕末の1867年に幕府が「官板実測日本地図」を発行するまでは「秘図」だったとされています。

 今年4月、広島県立歴史博物館(広島県福山市)に寄託された資料から、高田藩(現新潟県上越市)の家老の補佐を務めていた鈴木甘井(かんせい、1744~1812)が、1807年に描いた地図の写本がみつかったのです。

 忠敬は最終の地図以外にも、調…

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