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 「筋の通ったワル」。4番打者の信藤浩伸について、星稜中1年からずっと同じクラスで過ごしてきたマネジャーの田中辰治はこう評する。

 中学時代から指導者、先輩に食ってかかったこともしばしば。だが、左打席で勝負強い打撃をみせる信藤を、監督の山下智茂は不動の4番打者としてチームの中心に据えることを早くから決めていた。

 1年の夏、厳しい練習に耐えかねて、信藤がボイコットの音頭をとったこともある。金沢駅前や片町をうろついていた1年生部員はすぐに保護者に見つかり、山下に謝罪しに行った。「翌日から監督の家の庭やグラウンドの草むしりです」(信藤)。

 練習で信藤はよく、ノックを打つ山下めがけて送球していたという。「山下さんにバレとったんですか? さすが名監督ですね」と苦笑いで振り返る。練習試合でサヨナラヒットを放った捕手の三浦聡も、山下に向かってバットを放ったことがあった。「なんだその顔は!」。ふてくされた様子を山下から叱責(しっせき)された中川光雄は、「自分の顔ですが、何か?」とやり返した。

 そんな上級生を2年生エースの山本省吾は、「やんちゃな先輩たちは、ここ一番で臆せずに思い切ったプレーができる勝負度胸があった」と信頼していた。ただ、山本自身、試合になればミスをした先輩に容赦なく文句を言う。このころ、生意気な後輩として、先輩からにらまれていた。

 団結やチームワークという言葉とはほど遠い「個性派集団」。だが山下は、「個性のあるチームは強い。それをどうまとめるかが監督の力量」。練習中にキレて帰宅し、1週間でチームに復帰した中川をはじめ、素行を理由にメンバーを外すことはなかった。むしろ、「追い込んで追い込んで、ボイコットを仕掛けていた。そうすると、選手同士がまとまるんだ」。結局、型破りな選手、監督の板挟みとなって苦労したのが主将の庄田大輔と、マネジャーの田中辰治だった。

 星稜中2年のときに椎間板(ついかんばん)ヘルニアとなって選手を諦めた田中は、「山下監督を男にする」とマネジャーとして高校野球部に入部した。この春の選抜から背番号をもらい三塁コーチを務めた。「本当に気が利く。マネジャーに支えられた」と山下は厚い信頼を置いていた。

 外野手の庄田は選抜大会は1打席だけ打席に立っただけで、レギュラーではない。前年に新チームが発足した際、チーム内の投票で主将に選ばれた。庄田と田中は毎朝一番にグラウンドに行き、山下と朝食を食べながら、練習メニューや狙いなどを聞いた。信藤、中川、三浦聡、石黒達也、山本ら我の強い選手たちと、監督とのパイプ役。なだめ、すかして、説得に当たりつづけたが、田中は6月下旬に嘔吐(おうと)し、倒れる。急性胃腸炎と診断された。点滴を受けながら裏方をこなしていた。

 石川大会開幕後のある日、山下は2年生の長津慶吾に、山本が提出した野球ノートの朗読をさせた。「田中さんは体調を崩してまでチームのために働いてくれている」「信藤さんは頼れる4番打者」……。後輩エースの3年生全員への温かい言葉が紹介され、チームの雰囲気はガラッと変わったという。

 山本は言う。「何でそんなことを書いたかは覚えていない。ただ僕としては、あの1カ月の特訓で別人のように殻を破れた実感があったのは確か」

 どうにかこうにか態勢が整い、星稜は夏の戦いに突入していく。=敬称略(塩谷耕吾)