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 高級エレキギターで知られる米ギブソンが経営破綻した。若者のロック離れが言われるなか、エレキはもはや、時代遅れの「遺物」になってしまったのか。

南田勝也さん

 音楽フェスでエレキギターのプレーが主役のバンド演奏が始まると、若者が戸惑いを見せることがあります。ノリが合わないのです。ロック好きの若者は今も多いですが、向き合い方が変化し、ギターの役割も変わっています。

 かつてのライブは音楽を鑑賞する場でした。ロック音楽の見せ場は、なんといってもギターソロで、観客は延々と響くギターの音色に酔いしれました。会場の座席が固定され、受け手の行動が制限されていたのもあるでしょう。

 技術が進化し、音や会場が良くなると、サウンド全体で観客と一体となることができるようになります。バンドと観客は同じTシャツを身につけ、会場で跳びはねて体を投げ出す。観客は汗まみれになってバンドの音に反応します。ライブは「鑑賞」から「遊ぶ」場に変化しているのです。

 2010年代以降、ギターはさらに存在感が薄くなります。バンド「サカナクション」はラップトップパソコンを駆使するイメージ。「SEKAI NO OWARI」のFukaseは「今時、まだギター使ってんの?」と発言して物議を醸しました。

 もちろん、おのおののバンドが本当にギターを不要としたわけではなく、サウンド全体の中でしっかりと役割を果たしていますが、個人としてのギタリストはどうしても埋没します。その結果、若者が憧れるギターヒーローが現れにくくなりました。ギターの売り上げが落ち込んでいるとすれば、それも関係しているのではないかと思います。

 このことは、世代間の変化からも解説できます。かつて、ギタリストは束縛をはねのける自由の象徴でした。自由を求める闘いはギターアイコンに表現されていました。1990年代初頭に流行したロックジャンルの一つ、グランジは、家庭が崩壊し、未来に希望が持てない者たちが焦燥感を表現した音楽で、ニルヴァーナのカート・コバーンがその代表格です。

 一方、2000年代以降に成人するミレニアル世代は、少子化で子ども時代に自分の要求がある程度、通るようになります。日本ではさとり世代あたりでしょうか。強い焦燥感はありません。ただ、何も語らないわけではなく、連帯感を強調した歌が増え、現代社会を表現しています。

 今の若者はつながりを大切にする世代で、パーティー文化を持ち、仲間と盛り上がることが好きです。周りと同じ格好でライブに参加し、自撮り写真をインスタグラムに上げる。ロックへの憧れは、ファッションで表現してもよくなっています。「個」の主張から「協調」のモードへ。若者文化の変容は、ギター音楽としてのロックのアイデンティティーを揺さぶっています。(聞き手・後藤太輔

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 南田勝也 1967年生まれ。武蔵大学教授。専門は音楽社会学。著書に「オルタナティブロックの社会学」など。