4連投の甲子園決勝、マウンド上で涙 覚悟を決めた直球

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(1992年決勝 西日本短大付1―0拓大紅陵)

 カウント2―2。西日本短大付のエース森尾和貴はサインに首を振り、タイムを取った。捕手の西原憲一をマウンドに呼ぶ。目には涙。「インコースの直球」。最も自信のある球で勝負すると伝えた。

 九回、点差は1点。2死から右前安打、そして二盗も許した。拓大紅陵(千葉)の強打者・立川隆史を迎え、こみ上げる涙に天を仰いだ。

 覚悟を決めた直球が走る。5球目ファウル。6球目、詰まった飛球を三塁手の梅沢敦がつかむ。完封。二回にスクイズで奪った1点を守り切った。西日本短大付が初優勝。三池工以来、福岡勢27年ぶりの全国制覇だった。

 「涙の理由ですか。やっと報われるというか、そういう気持ちになりました」と森尾。2年前、西日本短大付は全国4強入りを果たしていた。目標は優勝しかない。チームは力量もあった。なのに選抜へつながる秋の県大会は3ランを浴びて敗退。春の県大会も一発に泣いた。「肝心なところで負けた。自分のせいで。夏前もチームはどん底で、どうしたら勝てるのか、という時期があったんです」

 練習とは別に、森尾はよく走った。公式戦後も、壮行会の焼き肉のあとも。使ったのは学校の正門前の緩やかな坂。日に50本以上。試合で1失点につき10本が加わった。すべて自分で決めたことだ。

 「森尾はできることをコツコツと積み重ねるスペシャリスト」と主将だった中村寿博(日本文理大監督)。「足腰を鍛えに鍛え、コントロールと球のきれを手に入れた。最後の最後にそれが研ぎ澄まされた」。技術なら今の投手が上だが、自らを厳しく律して培った勝負にあたっての気力は、雲泥の差だという。

 七回には焦点となったスクイズ阻止がある。1死三塁。1ボールのあとの2球目に予感がした。浜崎満重監督からの指示も「外せ」。スクイズは普通、外角球で外すが、森尾は胸元へ直球を投げた。走り出した走者を視界に入れ、とっさに高めに修正した。

 森尾は説明する。「打者心理としてはインコースに来るとは思ってないでしょう。とっさに反応しちゃう。それがフライになって併殺が取れたらという狙いでした」。結果はバント空振り。走者をアウトにして難局を切り抜けた。

 「点をやらなければ、勝てる」。これが新日鉄堺出身の浜崎監督の信条だった。社会人流の水準の高い守備を仕込まれた。例えば打球の予測。投球のコース、球種、打者の振りなどから守備位置を変えるのは当たり前。対戦校の打者を必ずビデオで分析した。

 「監督は自分たちで考えさせた。打者を研究する目を養うというか、そこまで高校生に求めた」と森尾。抜かれたと思われた打球が野手の正面という場面が再三あった。相手には不運でも、自分たちにとっては必然。それも森尾の並外れた制球力があったからこそ成り立った。

 未経験の4連投で決勝を迎えた。「もう最後。思い切り投げようとしか考えなかった」。結局、甲子園では5試合で4完封。打者162人に対し28安打、31三振、4四死球、1失点、防御率0・20。星稜(石川)の松井秀喜への5連続敬遠で騒然となった大会で、1人で投げ抜き、圧倒的な存在感を見せつけた。

 甲子園で投げすぎたんじゃないか。こんな声が新日鉄八幡に進んでから聞かれた。右ひじの手術を経験し、肩も痛めた。「後悔はない。僕らの時代、やはりエースになりたいですよね。自分に任せてくれと。だから責任がある。どのチームも練習しているんでしょうけど、それに加えて努力をして、いろんなつらさを乗り越えた選手たちが甲子園で結果を残せていると思う。そういう経験をしてきたから、何年たっても胸を張れる」

 前年、準優勝した沖縄水産のエースが右ひじを痛めたまま投げ続け、議論を呼んだ。これを機に日本高校野球連盟は複数投手制を提唱する。森尾が光彩を放ったのは、そんな時代の曲がり角のことだ。

(隈部康弘)

     ◇

 もりお・かずたか 1974年生まれ、福岡県八女市出身。高校卒業後、新日鉄八幡へ。2003年の廃部を機に第一線を退いた。夏の福岡大会になると、テレビやラジオの解説で登場。

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