[PR]

 高校野球を教え、支えて36年間。日本高校野球連盟と朝日新聞社は18日、京都府高校野球連盟理事長の井上明さん(60)=京都市西京区=を功労者として表彰することを決め、発表した。監督時代の口癖は「野球をなめとんのか」。ののしるのではなく、野球を通じて成長させるという信条を口にしてきた。

 選手としては、府立桃山高校(京都市伏見区)の遊撃手。同志社大では控えながら神宮大会優勝を飾った。選手としてやり切ったと感じ、高校野球の指導者を志して体育教諭の道に進んだ。

 1986年から11年間、府立鳥羽高校(京都市南区)の監督を務めた。春と秋の府大会で1回ずつ優勝した。先発メンバーは技術で選んだが、控えの9人は努力しているかで決めた。「全員が納得して一つになれるチーム」を心がけた。

 90年の秋の府大会で優勝したときの鳥羽の4番打者、中村秀幸さん(45)=京都市北区=は、井上流を今も忘れない。「ただうまいやつより、へたくそでも懸命に練習するやつにチャンスをくれた」。中学生の硬式野球チームの指導者として、井上さんの野球を継承しようとしている。

 チームの和を乱す行為には厳しかった。91年夏の京都大会前、中村さんは練習試合で継投したが、打たれて降板。ふてくされた態度でベンチに戻った。井上さんは「野球をなめとんのか。出たくても出られないやつがいるのに、どうなってるんや」と諭した。

 井上さんは「感情を抑えて周りを気遣えるようになってほしかった」と振り返る。中村さんは「厳しく叱ってくれたのは大事に思ってくれていたから。自分が指導者になってやっとわかった」と言う。

 2006年に京都府高野連の理事長に就いた後も、考えは変わらなかった。豪州遠征のための選抜チームが昨年11月、同志社大との壮行試合に挑んだ。試合前、大学生はグラウンド整備をしているのに、選抜チームは談笑していた。

 「なんとも思わんか」。井上さんはこう伝えた。チームはその後、率先してグラウンド整備をするようになった。井上さんは「当たり前のことをふつうにできるように」と願っている。

 この3月の定年退職のタイミングで理事長を退くことになっていたが、夏の100回大会を控えて1年延長になった。「何事もなく記念大会を終えることが一番。それが高校野球への恩返し」(川村貴大)

こんなニュースも