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 夏の甲子園で優勝なし。プロ通算2千安打を最初に達成し、「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治=元巨人=ら多くのスター選手を生み出してきた熊本県だが、深紅の大優勝旗をいまだ熊本の地へは持ち帰れていない。「県勢初優勝」を目指してしのぎを削っている。

 最高成績は、熊本の野球界を長年引っ張ってきた熊本工の3度の準優勝。春夏あわせて41度の甲子園出場を誇り、川上をはじめ、伊東勤=元西武=、緒方耕一=元巨人=、前田智徳=元広島=、荒木雅博=中日=ら県内最多のプロ野球選手が輩出した名門だ。

 そんなスター軍団に対抗意識を燃やしてきたのが、古豪の済々黌。1958年の選抜大会で優勝した時の主将だった末次義久が72年に母校の監督に就任すると、当時は斬新だった「機動力野球」を駆使してチームを復活させた。「一人一人の力がなくても、考えて力を合わせれば強者に立ち向かえる」。監督が代わっても伝統は受け継がれる。

 80年代以降は、鎮西、九州学院、城北、文徳などの私立も安定した力をつけ、群雄割拠の時代へ突入した。鎮西は81、84年の夏に甲子園に出場し、いずれも4強入り。九州学院は98年から県初となる夏3年連続での甲子園出場を果たした。

 強打者も多く生まれた。八代の秋山幸二=元西武、ダイエー=は80年の熊本大会決勝で伊東を擁する熊本工に惜敗したが、当時の指導者は「身体能力は群を抜いていた」と振り返る。プロで三冠王を獲得した八代一(現秀岳館)の松中信彦=元ソフトバンク=も甲子園には縁がなかった。高校時代に左ひじを痛め、右投げに挑戦した。

 熊本工に追いつけ追い越せ、とレベルアップを図ってきた熊本の高校野球。だが、最近はその勢力図が変わりつつある。

 秀岳館の台頭だ。大阪の中学生チームを強豪に押し上げた鍛治舎巧が、2014年に監督に就任するとメキメキと力をつけた。県外から有力な選手を集め、厳しい練習で育て上げる手法は時に批判を浴びたが、甲子園では16年の選抜から4季連続出場で3季連続の4強入り。全国屈指の強豪校を作り上げた。17年夏の大会後に勇退。「我々が甲子園で勝つことで熊本の野球のレベルが上がる。少しは貢献できたと思っている」と語った。

 100回目の大会は秀岳館が3連覇をするのか、伝統校が阻止するのか、それとも他の学校が新風を起こすのか。注目の夏を迎える。

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