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 一つでも負ければ終わりの夏の頂点への道のりは長く、険しい。九州・沖縄で「深紅の優勝旗」がたどり着いていないのは長崎、熊本、宮崎、鹿児島の4県。「県民の悲願」にあと一歩と迫ったあの夏を、宮崎と鹿児島の元球児に振り返ってもらった。

鹿児島・樟南元主将 田村恵さん(42)

 4―4の九回表2死。佐賀商に勝ち越し満塁本塁打を浴びた場面。打たれた瞬間、「点取られたな」と思いました。結果、ホームランでしたけどね。

 九回裏はもう終わった、負けたという感じ。あそこで打たれた時点で試合終了です。これで高校野球が終わったなと思いました。

 決勝は中盤から雰囲気が悪かった。チャンスをつぶしたり、追加点を奪えなかったり、守備のミスが相手の得点につながったり。二回裏に3点先制してリードしているときも、このまま勝って終わるとは誰も思っていなかった。

 決勝だからといって特別な感情はなく、県勢初の優勝をかけた試合というプレッシャーも感じませんでした。3年生の最後の夏の大会は、1試合1試合が特別ですよ。県大会の初戦で負けても、甲子園の決勝で負けても一緒だと思います。

 ただ、負けたくないというだけ。勝ちたいというより負けたくない。負けたら高校野球が終わりますから。

 決勝は僕のミスで負けたので後悔しています。勝ち越し満塁本塁打の場面で、もっと冷静に考えることができていれば、間を取れば良かったんじゃないかと。

 それでも試合が終わったときは、達成感のほうが大きかった。俺たちは同学年の中で最後の最後まで高校野球ができたんだと、充実した気持ちでした。

 でも、高校野球は楽しかった、うれしかったという思い出よりも、やっぱり苦しいとか、もう逃げ出したい印象のほうが、いまだに強いです。毎日のようにやめようと思っていました。

 父と兄の影響で小学生のときに野球を始めました。ずっと投手でしたが、中学3年のときにチームの捕手がけがをして、急きょやることになりました。最初は難しいと思いましたが、盗塁を刺したときや打者を抑えたときはやはり面白かった。投手を続けたいという思いはなかったです。

 高校に進学してからは親元を離れての寮生活。野球以外のことも全部自分でしなければいけない。きつい練習が終わった後に寮生活があるんで、なおさらきついですよね。それでも続けられたのは、野球が好きだったから。苦しい思いをしているからこそ、最後の試合が終わったときに達成感があったのではと思います。

 チームに関しては、あまり自分が主将というイメージはなく、チームを束ねたという記憶はありません。言わなくてもわかるチームでしたから。個人個人が重なったら、チームになる。まとまる必要なんかなくて、個人個人やるべきことをやればいいんです。

 小さいときからずっと野球をやってきたから、野球は生活の一部という感じ。今は仕事で野球に携わっているので、高校や大学野球を1日4試合見ます。それで家に帰ってからもプロ野球を見ますからね。

 魅力というより、魔力。死ぬまで飽きないんじゃないですかね。(井東礁)

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 福岡県糸田町出身。樟南では主将を務めた。1994年にドラフト6位で広島カープに入団。2004年より、同球団の九州担当スカウトに就任。

宮崎・延岡学園元投手 奈須怜斗さん(22)

 宮崎県勢で最高成績の準優勝ですが、全く上を見ていませんでした。目の前の相手をどう倒すかだけ。というのも、入学直後の2011年春の九州大会以来、チームは常に県大会どまり。全国のレベルを知ったのが、最後の夏でした。

 チームは紆余(うよ)曲折を経ました。春の大会後、チームを変えようと監督が主将を代えました。エースの上米良有汰は大会直前に腕を疲労骨折し、離脱していました。

 それでも勝ち上がれたのは「走塁」と「カバーリング」にあったと思います。全員で同じ距離の「強気」のリードを取り、相手投手にプレッシャーをかける。内野ゴロでは必ずバックアップにいくなど、場面に応じて全て守備をパターン化していました。二つとも得点に直接結び付きませんが、やることが明確になり、動じずにプレーができるようになりました。

 甲子園3回戦の聖愛(青森)戦がターニングポイントでした。相手に決まる前、聖愛の練習を見ました。自分たち以上に走塁を徹底していて、重本浩司監督(当時)は「今残っている中で一番やりたくないチーム」と。その聖愛に10―0で勝てたのが自信になりました。夏まで試合でほとんど投げていなかった自分が内角を攻め、八回までゼロで抑えたのも大きかったですね。

 準々決勝の富山第一戦は九回1死一、三塁のピンチで救援しました。併殺に仕留めましたが、ブルペンの球がグラウンドに入り、外野の審判がタイムをかけていてやり直しに。この後、2者連続三振でピンチを切り抜けて流れを呼び込んだわけですが、裏話があるんです。

 実は登板前、鼻血が出て満足に投球練習ができていなかったのです。「幻の併殺」もヒット性の当たりを二塁手が好プレーをし、生まれたもの。やばかったです。味方の抗議の間に急いで肩を作りました(笑)。

 県勢48年ぶりの準決勝で花巻東(岩手)に勝ち、高橋光成投手(現西武)を擁する前橋育英(群馬)との決勝。四回、防御率0・00の高橋投手から3点を先取しました。ここで初めて優勝が頭をよぎって緩みが生まれました。直後に先発横瀬貴広がソロ本塁打を浴び、これをきっかけに一気に同点、最後は3―4で敗れました。

 宮崎が優勝できないのは、意識が低いからではないと思います。中学の有名選手たちが1カ所に集まらず、他県から選手を集めるわけでもない。県大会は毎年混戦になります。全国の強豪校の選手たちは一人ひとりの能力が高くて、努力してもそこには届かない。

 強くなる方法はあります。宮崎県には「甲子園優勝サポート強化事業」があり県外に遠征できます。強豪校とやって気付くことがある。ただ、強豪をめざすだけでは勝てない。何をすべきか具体的に考えることが大事です。自分たちも大阪桐蔭との練習試合に負けたことで、走塁とカバーリングにたどり着きました。工夫次第で甲子園でも勝てると思います。(松本真弥)

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 宮崎県日向市出身。甲子園では背番号10を背負い、4試合に登板。早稲田大に進学し、今春卒業。現在は都内の飲料メーカーで営業職として勤務する。