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 「強肩強打」「抜群の統率力」――。「宮崎ベストナイン」の扇の要には、球界屈指のユーティリティープレーヤー・木村拓也さんが選ばれた。37歳の若さでこの世を去ったが、県内関係者の脳裏には、その輝きが色濃く残っている。

 1988~90年、宮崎南で捕手や外野手として活躍し、3年生では主将としてチームを牽引(けんいん)した。

 同級生で、現在宮崎南で監督を務める佐々木未応(みおう)さん(45)は3年時にエースとして木村さんとバッテリーを組んだ。「抜群のリーダーシップだった」と振り返る。

 ふがいないピッチングをした時には、マウンドの佐々木さんに矢のような球が返ってきた。「『気合入れろよ!』というメッセージがこもっていた。口でいろいろ言うより態度で語りかけてくるような選手でした」。強気なリードも身上で、「私がどれだけ首を振っても絶対にサインを変えてくれませんでした」。

 「努力する才能があった」と語るのは、当時の監督で現在、宮崎北の副部長の清水一成(かずしげ)さん(61)。部員たちに4カ月間で素振り2万本とティー打撃1万本を課したことがあった。クリアした選手は全体の半数ほどだったが、木村さんは自慢するそぶりもなく、ノルマより1万本ずつ多くこなした。「もともとの能力が優れているのに、並の選手の2倍も3倍も練習をする努力家だった」

 決して大柄ではなかったが、打席でも存在感は別格だった。1年時に代打で迎えた公式戦初打席は、いきなり本塁打。足の速さも出色で、練習試合では5打席連続三塁打を見せたことも。主将として臨んだ72回大会では2回戦敗退に終わったものの、高校最後の打席で左中間に刺さるような2試合連続本塁打を放った。アーチに始まりアーチに終わる豪快な高校時代となった。

 卒業後は日本ハム、カープ、巨人でプレーし、2004年にはアテネ五輪に出場。09年に引退し、巨人のコーチに就任するまでに1049安打を記録した。

 10年4月7日、くも膜下出血で早世。宮崎南では、功績をたたえた記念レリーフをつくり、15年度には部活動で陰ひなたなく尽力した生徒を表彰する「木村拓也賞」を設けた。グラウンドには木村さんが残した「苔(こけ)魂」の言葉が書かれた横断幕が掲げられている。

 生前、朝日新聞の取材で、木村さんは高校球児たちにこんなメッセージを送った。

 「あまり悩んでくよくよするより、いつも堂々としているほうがいい。目標をつくり、信念をもってやることが大事」(大山稜)

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