【動画】1951年5月、米軍機が福岡市内に墜落した事故の目撃者と一緒に現場を訪ねた=佐々木亮撮影
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 米軍機ファントムが九州大箱崎キャンパス(福岡市東区)に墜落した事故から2日で50年になる。これを機に反基地運動が高まり、「米軍板付基地」の大半が返還されて福岡空港になったが、一部に米軍の施設が残る。福岡では、戦後の占領時代から100件以上の米軍機事故が繰り返され、遺族らは痛ましい体験の記憶を抱え続ける。

 板付基地の滑走路から約1キロ。現在の福岡市博多区の二又瀬橋付近に、米軍機が墜落したのは1951年5月10日のことだった。

 橋のそばに住み、一部始終を目の当たりにした吉原学さん(89)は、事故機の破片とみられる約20センチ四方の銀色の金属塊を見せてくれた。

 「あの事故からしばらくして、近くの溝の中で見つけたものです」

 製麺業を営んでいた吉原さんは事故当日の午前8時ごろ、配達に出るため家の前にいた。青い稲妻が光ったように見え、ドーンという音が響いた。

 米軍機は、吉原さん宅から数十メートル離れた木製電柱や木にぶつかり、数軒隔てたしょうゆ工場の煙突に衝突して墜落した。米軍機に取り付けられた補助燃料タンクが向かいの家に落ち、炎上。吉原さん宅の屋根には、折れた木製電柱が飛んできて刺さった。この事故で計11人が亡くなった。

 50年6月に朝鮮戦争が始まり、多くの米軍機が板付基地から出撃していた。いつも、手が届くように思えるほど低空を飛び、通り過ぎる際には家がガタガタと揺れた。「いつか落ちるのでは」という不安が現実になった。

 55年6月15日には、近くの田んぼにいた親戚の女性が、米軍機の不時着事故に巻き込まれて亡くなった。

 吉原さんは空を見上げて語った。「私が助かったのは、本当に不思議」

■まさか自分の家に…生死を分け…

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